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明日のコンテンツ

2009.02.20 (Fri)

明日は、岡山県美作地区で教職員向けの講演をします。
あらかじめ、質問事項をもらっていて(さすが先生集団!)、その中に、
「どういういきさつ(論理)でスーパー主夫のような考え方になっていったのか?」
というのがありました。「スーパー主夫のような考え方」というのが何を指すのか、若干「?」ではありますが、おおよそ「今に至るルーツ」のことかと解釈しました。

それにしても…です。

自分の考え方のルーツを探るというのは、簡単なようでいて、特定の「あれか!」を探すのはなかなか難しいものです。「この機会に」といろいろ考えているところに、先の記事にあるファザーリングジャパンの安藤さんからのシンポジウムの依頼がありました。

大学院時代の研究を思い出しながら、「じゃあ、なんで外国人労働者の研究を?」に行き着きました。そこで、あの「オーストラリア・ショック」を思い出したのです。

1992年3月、僕は大学の卒業記念に一人でオーストラリアへ旅行しました。その時、オーストラリアの魅力に取り憑かれた、というよりもオーストラリアの人々の生活様式に惹かれたのでした。それは、17時には帰宅して、それからビーチやPUBやコンサートや映画に出掛けるという生活でした。日曜日のダウンタウンは閑散としてました。

初めての非アジア経験(それまでに韓国へは旅行済み)で「世界にはこんな暮らしをしている人達がいるのかぁ!」というカルチャーショックでした。就職を前にして、僕は「就職したら、アレを諦めなアカンし、これもする時間がなくなる。残業もあるやろし、あれもせなアカンし…」といろいろ覚悟していたのに、「オーストラリアで働けば諦めなくてイイ!」というのが新鮮に映ったのでした。

単純な僕は、「オーストラリアで暮らしたい!」と思うようになりました。その後、同じく多文化主義(Multiculturalism)を採用していたカナダにも旅行して、これまたメロメロ(ただし寒さには耐えられず…)。

さぁて、移住となると言語修得もだけど、移民になると市民権やら社会保障やらを考えないといけない。自分の夢というか妄想のために調べまくっていた、移民労働者の生活問題が、やがて日本にいる移民労働者の社会保障問題の調べ物になり、そのまま修士課程の研究テーマになったのでした。

そこから、父子世帯のワーク・ライフ・バランス問題に至り、自分のテーマにもなっていったわけです。「父子家庭でもないのに、父子世帯の問題を研究してるのか?」と聞かれましたが、僕の中で常に「自分の問題」というモチベーションがあったのは、「自分のワーク・ライフ・バランスのため」というテーマがあったからです。だからこそ、「スーパー主夫」への想定外の展開でも、受け容れることができたんだと思います。

美作地区での講演と、安藤さんのシンポジウムへの登壇依頼が見事につながり、ポロポロポロッとルーツ解明に行き着きました。

ふと、考えるのです。
もしも1992年のあの時にオーストラリアに行ってなかったら、僕の人生は…
と。
11:19  |  仕事ネタなど  |  Comment(0)

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