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僕のゲームの付き合い方

2010.05.13 (Thu)

Twitterをやり取りしている中で、子育てに関する話題として「DS」についての話題があがっていました。いろんな意見があり、「コレは納得」「これは違うかな?」と峻別していくウチに自分の寄って立つ位置も見えてきたので、ちょっと(今の次点での)まとめをしてみました。

基本的に、僕はハマりやすい性格で、パソコンでのゲームもテレビ画面で楽しむ「Wii」も嫌いじゃないどころか、ソフトによってはハマってしまうくらいです。ゲーム嫌いではないと自覚しています。それを踏まえたうえで…

結論から言うと、「DS」の存在自体が悪いのではなく、「DS」との付き合い方が問題なのだと思いました(あまりにも無難な着地点)。

僕は「たくさんある遊びの中の一つして『DS』がある」というのであれば、まったく問題ないと考えています。加えて、仮にDSが遊びの中で大きなウェートを占めるにしても、それが例えば「関係の途切れていた親との唯一の共通話題」というのであれば、それはそれで一つの価値だと考えます。

近所に任天堂の建物がある関係で、加奈子の友達のお父さんが任天堂勤務という人もいます。彼も、決して「DS依存症」が増えることは願っていないと思います。学校などで「断じてダメ!」「あんなのは悪い遊び!」と言い切ってしまうと、お友達のお父さんは「ダメを作ってる悪い人」になってしまいます。核兵器を売ってるなら「死の商人」と言ってイイと思いますが(抑止力になっているという肯定論すらありますが)、所詮ゲームです。エンターテイメントです。本来は楽しみを作り出しているはずです。

じゃあ、なんで家族で観光地やレストランに来ながら「DS」に没頭している子どもをみると不安になったりするのか?という点です。「なにして遊んでいるのかわからない」のが親の不安の根源の一つではないかと思います。加奈子も「○○ゲットできた!」とDSの成果を喜んで伝えてくるのですが、そのゲームについて僕が無知なため「あ、そぉ」と素っ気ない返事になります。同じ「○○ゲットできた!」も「Wii」だと僕もある程度やってますし、なによりも画面がオープンなので「どれどれ?お~これかぁ!」と簡単に確認できます。

つまり、僕は共有ができていれば不安は少なくなると考えています。その点、「DS」は画面が大きくなってきたとはいえ、それ一つで共有するには難しいゲーム機だと思います。通信機能があるそうですが、それでも共有範囲は限られています。家族で観光地に来ているのに子どもは「DS」に没頭という構図に違和感を覚えるのは、おそらくその家族自体の共有欠如を垣間見てしまい、それが「寂しい」や「不安」な要素として目に映っているのかもしれません。「観光地に来てまで…」という状況であっても、家族全員で「DS」に没頭して「やったぁ!」「やられたぁ!」と楽しんでるのであれば、「なにもここでしなくても…」とは思いますが、「でもまぁ、楽しんでるのならエエやん」と見守れる気が、僕はします。

携帯電話もそうですが、頭ごなしに「ダメ!」と奪い取り、その結果、使い方を学ぶ機会を逸し、いざ使い始めるとムチャクチャ…というのでは、かえって問題が大きくなってしまう気がします。クレジットカードの使い方やローンの仕方なども、その傾向にあると思います。「借金はアカン!」「借金は害悪」「クレジットカードは怖い」という「教え」だけが強調されると、イザそれを抱えた時に、どう対処してイイのかわからず、結局放置…というのが今の日本の巨額な財政赤字のような気もしています。

話が大きくなってしまいましたが、一番大切なのは、いろんなことを会話し意見交換でき、「僕はこう思うから、加奈子にこうして欲しい」「パパはこう言うけど、加奈子はこうしたい」をぶつけ合え、そのなかで「じゃあ、こうしようか?」が導き出せるのであれば、「DS」に限らず、いろんな「ん?」も乗り越えられると思います。

さいわい、加奈子は「お喋り」なので、口に出すことは億劫ではないようです。「通じる」と思うから話すのだと思いますし、「通じる」と思うには「共有できる」「分かり合えるはず」と思うなにかが、担保として加奈子の中に存在するからだと思います。

そこで行き着いたのは、僕が「聞く耳」を持ち続けることが課題だいうことです。「DS」自体の是非ではなく、「DS」と関わる、親子関係ひいては(家族)社会関係の問題だと今は感じています。
10:29  |  家事・子育て  |  Comment(2)
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