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共感を呼ぶ文章とは

2008.07.13 (Sun)

ある人の(って、僕の父親のですが)旅行記を読みました。

この御方の旅行記。以前は「業務報告書」と読んでもいいくらい「○月●日、朝☆☆を食べ、その後ホテルを出る」という記述の羅列でした。それに比べると、今回のスイス旅行記は、だいぶん読みやすくなってて、情景も以前の静止画から少し動いている感じが伝わってきた。

文章はおそらくかなり正確で、虚偽報告もまず無いだろうというこの方の旅行記。おそらく記録としては完成度の高いと思う。自分が自分の記憶を呼び覚ますためのキッカケとして、この旅行記を位置づけるなら、これは100点だと思う。

でも…
でも、なんか寂しい。
なんでやろか?とあれこれ感じ、
隣の屋敷の旦那がカリフォルニアを自転車旅行した時の旅行記と読み比べてみた。

そして、
あ!これか!と思った違い。
それは随所に登場する現地の人達。

人間はどんなに正確な記述でも、書いているモノを読んでいる以上、ライブで会っている人とは違い、想像の域は出られない。でも、その想像は、正確さからは遠ざかるけど、逆に読み手に勝手な想像という自由も与えてくれる。「シュワちゃんのような大男」「ひげ面の男前」「足の臭いYHの若いルームメイト」…どれも僕なりにその人物を想像して楽しめる。「カリフォルニアにいる人たち」という僕のわずかな知識情報が、実際の記述と合わさった時、それは生きてくる。

読み手にとって、まったく引っかかりが無いと、それは「想像すらできない人(モノ、風景、食べ物…)」になる。ある程度の近さと、その先の自由で勝手な想像を楽しめる領域。この両方がないと、共感を呼ぶ文章にはならないのかもしれない。

そういう意味で、人間の存在というのは、多くの人がその文章に自分が入っていけるかどうかの重要な要素になるモノだと再認識できた。父親の旅行記も、おそらくスイスの山好きには、「あ~あそこのコトか」「そうそう、あそこからあの山が見えるんよね」という引っかかりがあって楽しめるモノだと思う。だけど、「アルプス=ヒマラヤ造山帯」程度しか情報のない僕には、引っかかりを探しながららもなかなか安定せず、そこに留まるのが精一杯で、そこから周囲を見渡す余裕はなかった。モノは読み手を選ぶけど、人物というのは、かなり勝手な解釈ができる。

この夏に書くことにしている「講演で喋りきれなかったこと」でも、より読み手に「引っかかり」を与える素材が必要なんだということがよ~くわかった。

これは話にしても同じコトが言えるんやろなぁ。最初の話題で引っ掛かりがあると、グッと入り込める。そういう意味で、まずその土地の話題に触れるというのは、まさに王道だったわけです。



最後に(精一杯の)フォローを書くなら、以前の業務報告書なら、ここまでも考えが及ばなかったはず。それからいうと、だいぶん旅行記も読んで楽しめるモノになってきてるってコトでしょう。

さて、次はどこの旅行記を?これだけあっちこっち行ってるんだから、そろそろ一人で旅行してみたらどうでしょ?そうしたら、おのずと人物の表記が増えるはずです。「なんじゃこりゃ~?」な事件や人物や食べ物…との出会いも爆発的に増えるはず。そうしたら、旅行記はメチャメチャおもしろくなること間違いなし!「アホな…」とわかっていても挑戦することで、いろんなコトがひっくり返ってオモシロくなるもんです。

って、なんで、あんな生真面目な父親から、こんな息子が生まれ育ったのか?生真面目な旅行記を読みながら、不思議でシャーナイ息子の僕でありました。
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