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過労死の根源的原因か?

2007.12.25 (Tue)

「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画
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 原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。
 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。
 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

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実は、僕も、あんまり泣けない話なんです。
だもんで、泣けない人達が世界にはたくさんいるって知って、ホッとしてます。
「泣かれへんのって自分だけなんやろか?」「僕って冷徹人間?」と思ってました。


この「滅びの美学」。
これがある限り、過労死や過労自殺は無くならないんじゃなかろうか?と思います。
全身全霊を付くし花と散るという美学があるとしたら、「なんとかしよう」とか、「なんとか打開策を見付けよう」という方向に向かず、「もうアカン!死のう」になるような気がするのです。

「死ぬ気で頑張る」という言葉もありますが、死ぬ気で頑張る姿は「花と散る」よりも、泥臭いイメージです。でも、その先には、また別の次元の生活がまっているのですから、是非、そっちを評価する世の中になって欲しいなぁと思います。

「どこで間違えたか?」「どう修正したらいいか?」これには論理的な発想が必要で、盲信や感情だけでは、なんにも解決しません。「こんな会社辞めや!」と思って飛び出したり、「こんな婚約アカン!」と破棄したり、わりと感情的に辞めたり中断したりした僕ですが、今になって思えば、「一生懸命仕事続ければ、また道が開けるかも…」とか「じっくり話せば、相手も変わるかも…」ではなく、「アカンもんはアカン!いったい、僕の生活、どこで狂ってしもたんやろ?」と振り返り、計算してプッツンしてたのかもしれません。

「辞めたい」「別れたい」…と言いながら、ズルズル流され、結局、なんの解決もなく荒んでいく人がいます。良くなる兆しがまったくないのなら、「はい!次っ!」も大切やと思います。寒さに凍えて死んでいくネロの姿に涙するのもエエのですが、いろんな人の助けを借りながらでも、しっかり生きる姿に涙流するのもエエと思うんです。敢えて「他人の迷惑になってやる!」というのはダメですが、「どう仕様もない時は、信頼できる人に相談したらエエねんで」というのを子どもにも伝えていきたいです。



最後の
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バンディーンデレンさん(36)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす
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ですが、言い換えると、「日本人は変えないこと、変わらないことに価値を見いだす」とも読み取れます。一方で、ものすごい変化をいとも簡単に受け入れるのも日本人。この乖離は、同じ人間の中で起こっているのか?それとも違った層でそれぞれが起こっているのか?もうちょっと踏み込んで考えると、こんにちの社会病理も、少し読み解けるのではないか?と思います。
16:46  |  仕事ネタなど  |  Trackback(0)  |  Comment(8)

全身全霊を掛けるメンタリティー

2007.12.25 (Tue)

昨日、宮憲ゼミの集まりで、久しぶりに会った同期。遅れて到着した彼に、先に配った「プロ主夫山田亮の手抜き家事のススメ」を隣の方が見せてました。

興味深かったのは、彼がタイトルを見るなり一言。

「僕は手抜きしてないで」

彼も、新聞記者を辞めて司法書士受験のために主夫になっていたらしく、隣の方は、「君もどう?」と見せたと思うのですが。彼らしい反応で、おもしろかったです。

手抜きしないコトは、仕事の場では常に求められます。実際に、ズーッと手を抜かず集中が保てるかどうかだとか、手抜き考えないことがイノベーションを遅らせるとか、そういうコトは別に置いておいて、とりあえず「手抜きしないで仕事をする」というのは、仕事の大前提。僕も、講演を「今日はちょっと手抜きしてみました」とは言えないものです。

ただ、もう少し、視野を広げてみた時に、生活の一部に仕事があり、生活の一部に家事があり、生活の一部に子育てがあり、趣味の時間があり、睡眠の時間もある…あくまでも、手抜きをしない場面は、生活の中の断片。全部を100%で全力投球するのは、おそらく不可能。

全身全霊を掛けるメンタリティーの影響なのか、男性の家事を見ていると、とてもおもしろい傾向に気が付きます。ある一定の割合の方は、平行作業ができない、もしくはものすごく苦手のようなのです。

煮物をしている間に炒め物を作ったり、洗濯の合間に掃除をしたり、仕事の合間に家事をしたり…こういう平行作業が、頭ではわかっていても、身体が追い付いて来ないという感じに見受けられる方が、毎回、いくらかいらっしゃいます。

かくいう僕も、並行作業でギブアップしたものがあります。それは、家計簿です。僕は、一人暮らしが長かった関係で、自分の家計簿を自分でつけるのは全然問題ありません。最近は、毎日毎日チェックするわけではないので、たまに「え~っと何に使ったんやろ?」ということもありますが、だいたいチェックできています。

結婚当初、和子さんは家計簿をつける習慣がありませんでした。僕と結婚して、はじめて付けはじめたのです。僕たちは、個々に財布と家の財布という、二人で三つの財布を持ちあわせています。最初、家の財布は僕が家計簿をつけていました。ところが、僕と家の財布を同時に管理しているウチに、「この金は家ので、僕が立て替えたわけだけど、前の分と相殺して、次のために補充して…」とやっているウチに、頭がグチャグチャになってしまいました。和子さんに管理を委譲させると、これがいとも簡単に管理してるんです。

最初の、「手抜きしない」を広い範囲で設定できればいいのですが、後から広げられた場合、その移行に戸惑う場面は、誰しもあるかもしれません。「家計を管理」するという広い枠で捉えていれば、複数の家計簿管理も問題なかったと思うのですが、長年、家計簿は「自分の金の出入り管理」にしてしまっていたため、複数管理で戸惑って締まったのだと思います。

「仕事の手を抜かない」「家事の手を抜かない」…けっこうなコトです。もう少し範囲を広げて「人生の手を抜かない」とした時、いったい人はなににどう全身全霊を掛けるのでしょう?手抜きのない生活とはどんなんだろう?と思います。
14:32  |  仕事ネタなど  |  Trackback(0)  |  Comment(3)

「サンタさん来てた!」

2007.12.25 (Tue)

DSC00544.jpg朝から大興奮の加奈子でした。

起きると、ベッドの横にシルバニアンファミリーの「明かりの灯る大きな家」があり、階段を下りてリビングに行くと、ジュースは飲んでたし、キャンディーは全部食べてるし(こっちは、誰が食べたんだ?)「うおぉぉぉぉ!ホンマに来たンやぁ!」とこれまでで最高度に興奮してました。

今年は、『さむがりやのサンタ』を買ってきたり、テレビでフィンランドのロヴァニエミのサンタクロース村がよく映っていたり、昨晩はタイミング良く、そのロヴァニアミから「今からサンタさんが出発します」という中継があったりして、すっかり盛り上がっていたようです。

「ドキドキして、なかなか寝られへんかった」そうです。
これだけ大喜びしてもらえると、サンタも喜んでることでしょ~。(この場合のサンタ=エポック社?)
09:18  |  家事・子育て  |  Trackback(0)  |  Comment(3)
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