FC2ブログ

七夕の笹飾り

2007.07.05 (Thu)


保育園から笹と工作の時間に作った飾りを持って帰ってきました。家に帰るとさっそく飾り付け開始!こよりを枝にササッと結んであっという間に一人で完成。去年は全部付けてやったのに比べると格段の進歩!

和子さんには話してたのに、最後まで「パパにはヒ・ミ・ツ」とされていた願い事の短冊。本日、初めて知ることができました。

「ん?これなんて書いてるん?」
「え?チャンと書いてるヤン!よぉ読み!」
「え?っと、『おおきな』くらいしか読まれヘンで」
「んもぉ?『おおきなおしろでくらしたい』って書いてるヤン!」
「はぁ?」

そうなんです、平仮名の「し」の順番に書かれているのです。

「おおきなおしろでくらしたい」かぁ?あんた、掃除がタイヘンやで。あ、掃除は掃除屋さんにやってもらうんやね。こんな発想では、僕はお城で暮らせません。加奈子さんよろしく。
22:37  |  家事・子育て  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

公立南丹看護専門学校の講義が終わりました

2007.07.05 (Thu)

まだレポートの採点が残ってますが、ひとまず終わりました。

終わりました!というのは、今シーズンの講義が終わったというだけでなく、公立南丹病院付属高等看護学院時代から9年過ごした公立南丹看護専門学校での講義を終えたという区切りでもあります。この9年は、日本の教育事情が変わったというのをリアルに経験する時間でもありました。

1998年に初めてこの学校で講義した時、今日の学生達はほとんどが小学生。僕は今年40歳になるのですが、学生から「ウチのオカンと同い年」と聞いて腰が抜けそうでした。ちょっと長居しすぎたかな?

いろんな学生がいましたが、今でも交流のある学生は、ごく少数です。大半の学生は、今ばったり出会っても誰だかわからないと思います。交流がなければ忘れ去られるだけですね。非常勤講師というのは、彼らの時間をスーッと通り過ぎるだけの存在かもしれません。

せめて、雑誌や新聞に僕が出ていた時は、「おおお!頑張ってるヤン!」「この人に教えてもらった事あるねん」と言って思い出してもらえればウレシイです。


最後の講義は、ドラマ「王様のレストラン」を見ながらの講義でした。「私は先輩から教わりました。『お客様は王様である』と」というアレです。

この名台詞は、あらゆる人対人の仕事現場で、常に起こる葛藤とそれに対する心構えを示しています。「絶対に正しい『神様』じゃないんだ、首をはねられた者も大勢いる『王様』なんだ」というコトを踏まえていれば、そこには守るべきルールや規範が生じるはずです。逆に、うまくサービスを引き出す人になることは、偏差値が高いコトよりも幸せに生きること(=福祉)とって大切な技量だと思います。ホントに大切なことなんですけど「教えてやる人が誰もいないんです」。

ホントはもっともっと「生き抜く技」を伝えたかったんだけど、なかなか二十歳そこそこの学生に伝えるのは難しいんよね。自分が関わった学生達が、「僕の給料を減らしても、僕はあなた(千石さん)と仕事がしたい」と言ってもらえるような人になって欲しいです。「ご存知ですか?一流の★★★はギャラも一流ってコトを」を言うようになってたら、こりゃもうスゴイですけどね。
17:37  |  仕事ネタなど  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

伊勢新聞に講演記事が載ってました

2007.07.05 (Thu)

伊勢新聞に講演の様子が掲載されていました。
11:19  |  仕事ネタなど  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

初の日本人NFL選手か?

2007.07.05 (Thu)

木下、ファルコンズのキャンプ参加決定!

もしかすると木下典明選手は、待望だった日本人初のNFLプレイヤーになるかも。キャンプ中のケガに気を付けて、是非、開幕メンバーに残って欲しいです。

ファルコンズ、ニューヨーク・ジャイアンツ、ニューヨーク・ジェッツ、グリーンベイ・パッカーズの4チームからコンタクトがあったとはスゴイです。木下選手のポジションは、WRですから、マイケル・ビック、イーライ・マニング、チャド・ペニントン、ブレット・ファーブという、どのチームに所属しても一流QBが投げる球を受けることになっていたのですね?僕は、NEW YORKの両チームの方がよかったんじゃないか?と思うんですけど…。Atlantaはチーム云々もそうだけど土地的に生活が厳しそう。

それにしても、メチャメチャ久しぶりのNFLネタです。昨シーズンは、今一つ観戦に乗り遅れてしまって、プレーオフからの観戦でしたが、今年はジックリ第1週から観戦できたらエエなぁ。あくまでも無理しないスタンスです(^^;

木下選手の活躍でNFLが日本でもっとメジャーになるとエエなぁと思います。NFLのゲーム観戦を楽しむ人が増えるようになると、複雑なstatsやデータ活用や、それに基づく対策や戦略の立て方など、もうチョット仕事や日常生活面でもevidence based(実証的?)になるような気がするんです。

僕は、社会的・集団的なスポーツへの嗜好と社会の動向とは大いに関連するという立場です(「スポーツ社会学」とでも言いますか?)。今の学生達のスポーツ離れは、深刻な問題の暗示であると考えています。学力格差が広がることで、スポーツを楽しめる層とそうでない層に分離している現状があるように思います。

もしもNFLブームが来て、たくさんの人がデータのおもしろさや、それに基づく行動の立て方に興味が向くようになると、ちょっとは格差も狭くなるかな?という期待があります。野球好きな子どもが打率や防御率や配球術に興味が向く感じで、野球よりももっともっと高度な奥の深いデータの世界がNFLにはあるのです。
08:25  |  スポーツ  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

改めて、自分のスタンスを考えると…

2007.07.05 (Thu)

改めて、昨年(2006年)7月に書いた「今日は三田市」と「生き方(追加)」は、今も「そのまんまやなぁ」と思います。

このスタンスは変えようがないし、これが「僕が僕であり続けること」だと思います。もちろん、こういうスタンスじゃない人もいますし、むしろそっちの方が多いと思うし、そっちの方がメジャーだと思います。

多くの人がそうであるような、目標をイメージして強く信じ、それに向かってまっすぐ進む!というスタイルはとても力強くわかりやすいです。それが実現できる人は立派でスゴイ人だと思います。僕の場合、理想は「いつか『主夫』が珍しくなくなる世の中の実現」ですから(参考「幸せの方程式」by「ケイコとマナブ」)強くイメージして実現すると、スーパー主夫として講演や執筆する生活は自爆です。

僕のスタイルは、「浮き草人生」「根無し草」と表現される部類に入るかもしれません。労働者たるモノ、環境や情勢に流されるのは致し方無いモノだと、僕は割り切ってます。どんなに自分が注意していても、アホな大臣の一言や同僚のミス、子どもの事故、大地震、遠い国の異常気象で、仕事できなくなることだってあります。自分の力の及ばないようなモノまで、祈ったり信じたりして変えられると思ってません。むしろ、どんな状況でも自分が自分であり続けるための柔軟性を身に付ける方が、僕には向いていると思います。

僕は小さい頃からズッと身体が小さかったので、物理的な力で押し切って乗り切る、切り開くという方法があるのはわかっていても、選択できないことが多かったです。仮に、選択しても、良い結果に結びつかないコトが多かったのです。いつか物理的な力学は、精神的な力学にも影響してきていました。正攻法で乗り切ったのは、大学受験の浪人時代だけだった気がします。その前もその後も(とくに後は)、力で押し切る環境が多く、僕はとっても生き苦しい思いをしました。幸せなことに、今僕は、物理的にも精神的にも、力で乗り切り開く環境ではないところにいるような気がしています。これは、本当にラッキーとしか言いようのないことです。

僕は、「自分の存在自体がニッチ産業」と言ったことがありましたが、常にすき間すき間をぬって来たように思います。それでも生きていけるんだ!というコトに最近やっと確信がもててきました。こんなんだから、チョットしたトラブルに接したり、ペースが崩れたりすると、すぐに凹んでしまいます。でも凹んだりガックリ崩れ落ちたりするからこそ、足下にある次のすき間が見付けられるのかもしれません。

そんなふうに、挫折の度に次のすき間を見付けて、ここまで流れ着いた僕には、「目標」「成功のイメージ」というモノが今ひとつピン☆ときません。イメージできることといったら、せいぜい身近な人の楽しい語らいや笑顔くらいです。逆に、そういう「目標」「成功のイメージ」がハッキリとなかったからこそ、今の僕がいるのかもしれません。このような、世の中の大半とは、ちょっと違うこういうライフスタイルは、説明してもなかなか理解してもらえません。でも、違うからこそ、僕は僕なんです。きっと。一緒になってしまうと、僕は力がないので埋没するだけです。

「自分のことは自分が一番よく分かってる」という人がいますが、スゴイなぁと思います。僕は、周囲の人との差でもってはじめて自分がわかるだけです。自分と違うモノの見方を「こんなスタイルもあるねんで」と見せてくれる人がいないと、僕は自分がよく分からないままです。どこの誰がそれを示してくれるかはわかりません。自分以外の人は皆大切な僕の発見者です。なかには、差がありすぎてなにが自分と違うのか分からず戸惑いますが、チョットした違いをもつ隣人の存在は、自分の行くべき道(=すき間)を見せてくれます。そんな友人達の存在を愛おしく思いながら、今宵は改めて自分の生き様というモノを顧みました。
00:12  |  仕事ネタなど  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
 | HOME |