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認知症の人の介護

2006.12.18 (Mon)

チョロッとだけNHKスペシャル「シリーズ 認知症 その時、あなたは 第2回 介護の孤立を防ぐために」を見ました。

人が変わったように、怒鳴りつけたり暴力をふるう夫を介護する妻。日記に綴られた「もう勘弁」「限界」の文字。毎朝「保育園行きたくない」との対峙による精神的ストレスを考えると、他人事とは思えない反面、「子育ての方が、まだマシかもしれない」と思う自分もいました。

子どもは、「いつかわかってくれる時が来るかもしれない」という感じで、成長に期待半分、逃げ半分という担保がありますが、認知症の場合、この担保はほとんど期待できなく、「この先どうなるんだろう?」と思う介護者の負担は計り知れない気がします。

どういう性格の人が、どういう生活を送った結果、どういうタイプの認知症になるか?という研究は、まだその法則は発見されていないはず。ということは、全ての人に、あの状態は起こり得ると考えていいと思う。せめて、介護する人だけに過重な負担を背負わさないような支援策の整備が必要。子育てですら、これだけ暗黒面を見せられるのだから、介護となると想像するだけで…
22:45  |  日々の出来事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

パルナスの歌

2006.12.18 (Mon)

先日、友人と話していて、なにかの拍子に「パルナスの歌」の話になった。どうも、僕達世代が子どもだった頃、流れていたテレビCMではお馴染みの歌だそうな。調べてみると、これは関西圏限定の製菓販売店チェーンだったらしい。僕が知らないのも当然。

でも、僕は、同世代が当たり前に知っているモノを、たくさん知らずに育っている。ちょうど「芋たこなんきん」で、町子の妹が町子に、「子どもには歌謡曲なんか聞かせてくれるな!」と言っていたのと、同じようにテレビも音楽も、いわゆる流行モノと無縁で育ってきた。

その結果が良いか悪いかはわからない。でも、昔話に入っていけない自分がいるのは確かで、そういうモノがもつ連帯感からは外れた、一抹の寂しさは感じる。後になって、知識や情報としては、自分の中に入ってきても、その時代の生活や感じたことというライブ情報とは、どうやってもくっ付かない。

歴史的に、誰が見ても聞いても「素晴らしい!」と評価されるモノの価値を否定するつもりはない。でも、それは教養のようなモノであって、その気になればいつでも身に付けることができる。その時、そこでしか通用しない価値にも素晴らしいものがある。とくに特定の世代や地方や属性の人と共有しあえる財産というのは、時として強い連帯感を生み出してくれる。それは、ただ知っているというだけでは、なかなか通じ合えるものではなく、その時の熱狂や感情や時代の流れが添付されるからこそ、知るもの同士の繋がりが生まれるのだと思うし、それが人間関係の形成に大きく影響を及ぼすこともある。「名作」「名曲」「名画」は、誰しもが納得するすばらしさがある分、「良さも当たり前」になってしまう。その分、連帯性も弱くなる。だから、例えば「アンチ・モーツァルト」などの方が、むしろ連帯感は強まる。

子どもの頃のことで、もう過ぎ去ったことだから、今さらどうこう言っても取り返せるモンではないし、今からのコトも大切にしようと思う。それでも、フトした時に、なにか寂しいモノを感じずにはいられない。そういうチャンネルをもっていないことには違いないのだから。
16:56  |  音楽  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

徐々に元気に

2006.12.18 (Mon)

↓は午前中のメモです。
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今日は12日以来の大ダメージ。
ドンヨリしたまま、全然、立ち直れる気配なし
口から出るのは、「もぉイヤや…」ばっかり
無気力な状態はいつまで続くのやら
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こんな感じでした。
でも、午後になって、少し元気が戻ってきました。

一進一退をわかってもらうのは、難しいやろなぁと思います。「もうスッカリ元気!」と書いた直後に「ダウン!」と書いたりするので、まるで、自分が「オオカミ少年」になったような気になります。

以前から、メールやブログのコメントに救われるコトがたくさんありました。でも、それが「いつもそうか?」というと必ずしもそうじゃないので、なにか法則でもあるのか?と思っていました。

今日も、友人からのメールにググッと元気づけられたのですが、そのメールは、今回のシンドイことには全然触れられていないのです。「関係ないメールなのに、なんで?」なんですけど、そのメールには、「楽しくなかった」「ありがとう」という、その人の感情を表す言葉が入っていたのに気付きました。

「そういえば」と、これまでに元気をもらったメールを読み返してみると、やっぱりどれも気持ちを表すいろんな言葉が入っていました。それは、自分が置かれているコトに関係するメールであっても、関係しないメールであっても、変わりありませんでした。うれしい気持ちだけではなく、イヤな気持ちの言葉もありました。

気持ちを表すということは、そこに流れるなにかがあるのでしょうね。ストレスで疲れてカサカサの無気力になった心には、そういう刺激が染み込むのかもしれません。

やっとNando Lauriaを聴けるような状態になってきました。
16:03  |  日々の出来事  |  Trackback(0)  |  Comment(0)

またか…タマランなぁ?

2006.12.18 (Mon)

月曜日恒例と言いますか…

また、「保育園に行きたくない」をやってます。まともに関わるのがアホらしいので放置してます。それでも、「まだ家に居る」という感覚がうっとうしいです。一回、引きずってでも連れてったろか!と思います。

今から保育園に連れて行っても、この調子だと、また午前中、僕はドンヨリと過ごさなアカンのかと思うと、すでにこの時間(9:30)から投げやりです。



と、ここまで書いて、プッツン切れてしまいました。(--#)
先ほど、泣く加奈子を強引に自転車に乗せて、保育園に連れて行きました。
今日は2時間でした。
泣きたいのはこっちじゃぁ!
ホンマに行きたぁないんやったら、
保育園についても、「イヤヤァ?・゜゜・(>_<)・゜゜・」って泣いてみぃ!

朝これだけゴネながら、夜、迎えにいった時、どんな顔してるんやろか?思います。毎回、ケロッと楽しげに遊んでるのをみて、半分安心、半分怒り爆発ですわ。



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こういうシチュエーションの時に、いっつも思い出すひと言があります。

「(子どもが行きたくないというのは)家の人がノンビリしてるからです!」

どこの誰がノンビリしてるっちゅーねん!

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はぁ?それにしても、「鬼ババ」「鬼ヨメ」という言葉はあっても、「鬼ジジ」「鬼ムコ」という言葉はないんよね。そっちに向き合ってこなかったコトの表れやと思うわ。「雷オヤジ」というのもあるけど、あれは一過性の気まぐれやし、DV男はまともに向いてないし。

いつか、男たちが普通に子育てや家事に向き合うようになると、継続的かつ蓄積される怒りや不満を爆発させるはけ口が必要になるやろなぁ。「お父さんがちゃんと子育てに向き合ってエラ?イ」などと言われ続ける限り、吐き出し口は無いやろなぁ。どこかに吐き出せる人はマシやと思うけど、「キチンとせな」「ちゃんと育てなアカン」と思うマジメな男性はキッツイやろなぁ。主夫の児童虐待も、時間の問題となるでしょうなぁ。
10:08  |  家事・子育て  |  Trackback(0)  |  Comment(0)
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