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祇園祭山鉾巡行(前祭)を見てきました

2019.07.17 (Wed)

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京都に移り住んで、はや20年ちょっと。これまで、祇園祭の山鉾巡行は、たまたま通りがかった時にチラッと見た数回だけでした。今年は、やんちゃ村京都一周4分割マラニックその3(この時)の、鞍馬まで行く電車の中で、ラン友さんから、招待席のチケットを譲って頂き椅子席からの観覧となりました。

御池通りの市役所と反対側、つまり本能寺会館北側辺りの席で、街路樹の木陰になったり、たまに涼しい風が通ったりと、真っ正面から日差しを受ける北側(市役所側)に比べると、はるかに見やすい席だったと思います。9時30分過ぎに席に着き、そこから待つこと約50分。先頭の長刀鉾が河原町御池の角にやってきました。

北に向かったいた鉾が西に向きを変えるんですが、その辻回しのまぁなんと時間の掛かること…ではなく優雅なこと。おかげで後から来る鉾には、辻回しの時間に対する心構えができました。
 
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次に来たのは、今年の「山一番」を引いた蟷螂山。屋根の上のカマキリが動いてポーズを決める、動きのある山。

「南北朝時代、足利軍に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが中国の故事「蟷螂の斧」のようであったことから、四条家の御所車に蟷螂を載せて巡行したのがはじまりといわれる」

とのこと。

芦刈山→木賊山(とくさやまと読む)→函谷鉾→郭巨山→綾傘鉾→伯牙山→ときて、

 
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9番目の菊水鉾。この辺りになると、座席も日が当たり始めだいぶん暑くなってきて、年配の観覧者は日陰に移動。すると、周囲がゴソッと空席に。後ろがいなくなり、ちょっと立ち上がっての撮影も問題なし。

菊水鉾→油天神山→太子山→保昌山→雞鉾→白楽天山→四条傘鉾→孟宗山→月鉾→山伏山→占出山→霰天神山→放下鉾→岩戸山ときて、
 
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最後が船鉾。最後の船鉾が通り過ぎたのは12時47分。2時間と20分くらいの観覧。全部で23の山と鉾が行き交い、どれも逸話や御利益の説明を読みながらで、アッという間。

逸話を振り返ると、中国の故事に由来するものもけっこうあるなと感じました。函谷鉾や孟宗山、白楽天山などは、名前にも表れてますし。そして装飾品である、前懸、胴懸にはインドやトルコ、ペルシャの柄も多く、多文化共生の様相。そういえば、引き手も一目で外国人とわかる人達も大勢でした。古来から、日本随一の国際都市だった京都ならではの、絢爛豪華な祇園祭山鉾巡行でありました。

ここまで見たので、27日の後祭の山鉾巡行も見てみようかな?と。

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ところで、祇園祭山鉾巡行の席に入ろうとすると、うちわやパンフレットなど一式が渡されるのですが、その中に、このような紙製の矛のような形のモノが。

上の山や鉾の画像にもチョコチョコ写っていますが、広げると、
 
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こんなチューリップハットになります。頭のてっぺんが焼けなくてはイイんだけど、中が蒸れ蒸れになりそう。そしてなんといっても、似合う人っているのか?という微妙な形。僕も、撮るだけ撮って、すぐに片付けました。
 
16:31  |  日々の出来事  |  Comment(0)

書く技術についてアレコレ

2019.05.21 (Tue)

あちこちで連載をしていると、たまに聞かれることがあります。
それが、

文章は、どこで習ったんですか?

という種の質問。

僕は通っていた学校(普通の公立学校)以外、ほとんど文章の勉強というのはしてません。まったくの独学です。

たまたま、というかなぜか、母が文章にキビシイ人で、宿題の読書感想文などは、「ここ違ってる!」「ここは『に』ではなく『の』!」「『ら』が抜けてる!」など、容赦ないチェックが入るのが学校以外で鍛えられた瞬間でした。

母がそんなにキビシイ人だったので、小中学校時代の作文の宿題は「また書いても、書いても怒られる」と苦手でした。ちなみに習字は両親共に得意だったので、習字の宿題も、僕の「これでイイや」ではなく、「親の納得(諦め)」が書き終わる基準だったような気がします。賞状なんかももらったことありますが、自分の力で書いた感はほぼゼロ。

高校に入っても、作文は苦手なまんま。おまけに字も悪筆(今でも)。

そんな僕が、「文章ってオモシロいな」と思えたのは、高3の現代文の太田先生の授業。生徒指導でもあったので、どっちかというと普段はガミガミ系の先生だったんだけど、作文に間してはずいぶん間口の広い人で、模範解答的な文章を紹介した後で、いつも半分ふざけたような山口君と村上君の文を紹介して教室は爆笑!「こういうのが書けると、書いてる方も楽しいやろなぁ」とボンヤリ思った記憶があります。相変わらず、書く技術はまるでなしで、書くコト自体も苦手。

今でも書く技術はそれほどあると思いません。どちらかと言うと、他の人が書かないような内容を書いている点で、書く仕事を得ている気がします。

東京新聞の以前の担当さんに、「軽妙洒脱な山田さんの文章」と言われ、「軽妙洒脱?そもそもなんて読むん?」でした。

【けいみょうしゃだつ】
会話や文章などが、軽やかで洗練されていること。また、そのさま。(コトバンクより

いやいや、そんなことないと思います。ノセ上手な担当さん。

少なくとも、
「こう書けば軽やかだろうな」
「これはモッサリしてるな」
と推敲できるレベルじゃございません。偶然、そういった感じに読める文章になっただけです。

それよりも、
もの書きのくせに、「軽妙洒脱」が読めないとは…
だと思います。

実は、読書も苦手。文学好きの母から「アレ読め」「コレ読め」と言われても、全然読む気なし。名作集やら◎◎全集など、家にはたくさんの本があったのは覚えてるけど、ほとんど読んでなかった気がします。

読むのは、国語の授業中の教科書や参考書や試験に出てくる文章のみという、必要最小限の読書量。とはいえ、浪人時代は、ものすごく時間があったので、現代文はたくさんたくさん読みました。文学作品は相変わらず大苦手だったけど、評論はだんだん興味をもって読めるようになったのが救い。

大学生になると、勉強らしい勉強をしなくなり、読む量も書く量も激減。しかも、学者先生の書く文章のなんと分かりにくいこと。唯一、ゼミ担任の宮本憲一先生の文だけは、簡単な日本語で書かれていてスラスラ読める。逆にいうと、僕の読書力でまともに文章を読めるのが、先生の文しかなかったので、ゼミ選択は一択でした。

ある時、たまたま先生と二人になった時があったので、「先生は、どこで読みやすい文章を習ったんですか?」と尋ねると、「ん~駆け出し研究者の時代に、地方新聞でエッセイを連載した時かなぁ。学者にありがちいな文章を徹底的に直されたからねぇ」と仰ってたのが印象に残っています。

そんな僕も、ネットで好き勝手書いていた文章が新聞社の人の目に止まり、新聞で連載をすることに。もともと格調高い文章が書けないので、「徹底的に直される」事はなかったけど、一文に複数の主語が入っていたり、重複表現があったり、クドイ表現になっている部分は、いつの間にか担当さんの修正が入っていました。モトの文と修正済み文を見比べながら、「こう書くとアカンのか…」「くだけた表現だけど、これはOKなのか」と自主学習。

というわけで、書く技術の習得に間しては、

編集段階でプロが修正した文章をみて学んだ

いうのが正解かもしれません。

ネット上の文章を読んでいると、難しい言葉を使いこなしている人が大勢いますね。読書量が違うせいか、僕には「軽妙洒脱」のように、意味がわからないどころか、読み方すらわからない言葉がたくさん出てきます。こんな言葉よく知ってるなぁと思います。でも、仮にそういう言葉を僕が原稿で使ってても、すべて分かりやすい言葉に置き換えて編集されます。つまり、難しい言葉を使えるようになる必要がないのです。文芸作家の皆さんに比べると、おそらく語彙力はかなり乏しいと思います。



こんな僕には、書けない時の「お助けアイテム」があります。

一つは音楽。
NANDO LAURIAの曲が流れると、なぜかスルスルと書けるんです。家事連載の原稿は、行き詰まるとたいていこの人の曲を流しながら書いてます。

もう一つは本。
こっちは「書けへん…」「もう書くの止めようかな?」という時、いわゆるスランプ時に読む、読書嫌いの僕が読む本!

文春ビジュアル文庫のスポーツ・グラフィック「ナンバー」編
激走!F1 歴史に残る30の名レース

紙に書かれたレース記録文集。それなのに、スタート前の緊張感から始まり、ドライバー同士の背景やチーム事情やシーズンポイントにまつわる経緯などが絡みながら、ゴールに向かってどんどんヒートアップしていく。もともとよどむことなく読める文が、最後には爆音で通り過ぎるスピードをも感じながら読めるんです。もともとレース好きというのもあるけど、それ以上に文章が素晴らしく、読む楽しさを思い出させてくれる一冊。

「こんな文章が書けるようになりたい!もうちょい頑張ってみようかな」
となれます。

30レースの中でも、とくに、林信次さんが書いた「1976年F1世界選手権 イン・ジャパン」は絶品。僕はそのレースをリアルタイムで知ることも見ることもなかったけど、今でも観客の一人になってレースを楽しめる名文だと思います。

その1976年のF1シーズンの主役は、ジェイムズ・ハントとその年のドイツGPの事故で大火傷を負いながら復帰してきたニキ・ラウダ。そのニキ・ラウダが5月20日に70歳で亡くなったと、今朝ニュース(こちら)で見ました。

 
18:17  |  日々の出来事  |  Comment(0)

いっぺん死んでみました

2019.05.19 (Sun)

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マラソン繋がりの上原暢子さん(以下、暢ちゃん)のワークショップ、「いっぺん死んでみるWS@京都」に参加しました。

そもそも、ラン友というだけで、なんでこのワークショップに申し込んだのか?確かに先週の日曜日に祖母が亡くなり、火曜日に葬式したけど、申し込んだ時は、4月にハワイへ行く前だったし、こんなタイミングになるなんて知らなかったし…、とにかく自分でも謎ではあったのですが、「あぁ、そういうことだったのか!」と腑に落ちる機会を得たのでした。

「この先、そう長くないぞ」そう思った時、迫られるのは余計な執着を捨てること。そこで、間違ったモノに固執して、「死んでも死にきれんわ!」と思うかもしれないけど、いっぺん死んでしまったら、「まった!」も、「もういっぺん死なせて!」も通用しない。人生の最後の最後の場面で、本当の本当に一回限りの究極の選択。貧乏人にも金持ちにも、不細工にも男前にも、一回しかチャンスがない、この執着の断捨離。

ワークショップの結果、僕は最後に「自分」と「通信環境」という二つを残してました。「通信環境」というのは、途中から「なにか記録するモノ」と、自分でも書き間違えていたのに気付いてました。2月と4月にアメリカに滞在した時、とくに2月のフロリダとアリゾナ滞在で、スマホとバッテリーと4Gがライフラインになっていることを痛感したので、それで「大切なモノ」に「通信環境」(もちろん「バッテリー」も「スマホ」も書いてたけど)を書いたんだけど、実はそうじゃなかった。

「自分」と「記録するモノ(例えば、紙&ペン)」。

そして、最後の最後、自分が死んでも「記録するモノ」が残る意味は?

あ、そうか!
書いたモノが自分が死んだ後も残る(残したい)と思ってたのか!
と気が付きました。

ワークショップの後のシェア発表。
いきなり、暢ちゃんに「じゃぁ、亮さんからね」と言われ、
発言場所までの移動中にポロッと出たのが、
「ぶっちゃけ、実は、いつ死んでもイイと思ってたんですけどね…」という、自分でも驚くひと言。

ワークショップ中に思い出した、26歳の時にストーカーから殺されかけた経験。あの「いっぺん死にかけた」経験からもうすぐ26年経とうとしてたんですね。自分でも忘れていました。人生のどん底が26歳の時で、そこからいろんな人のご縁と運だけで、今の極楽生活な自分がいます。

今が人生で一番ハッピーな時だから、そりゃ「いつ死んでもイイ」と思ってたんですけど、「書いたモノ」を出し切れていない自分がいることを、いっぺん死んでみることで、「まだ死ねんわ!」と自覚。「まった!」ができてヨカッタ。

そういえば、「いろんな人のご縁と運」は、全部、僕が書いたモノを誰かに読んでもらって、「大学院に進学してみない?」「会ってみません?」「取材させてもらえませんか?」「講演の依頼したいんですが…」「テレビ出演の問い合わせです」「出版してみません?」と繋がった結果。本当に、一回も「読んで下さい」「会って下さい」「取材に来て下さい」…とこっちからアプローチをした経験がない。出版に繋がらなかった出版企画ですら、「企画書書いてみませんか?」という問い合わせがあり、「んじゃ、この機会に」と企画書書いて没に。本当の本当に営業ゼロで今の仕事をしてます。でも、売り込みこそしてないけど、Webサイトをアップできるようになった1997年以降、ほぼ毎日、いろんなコトを書いてネットにアップしていました。あの書き続けた結果が、今のこの好き勝手な極楽生活。

自分でも薄々感じていたんだけど、最近発信力が低下してます。書きたいことはあるのに、書くエネルギーがない。書くよりも寝てしまう。そして、発信することに自分で敷居を設けてしまって、書くことが好きだったのに、書いては削除の繰り返し。もう書けなくなったのかも…と思っていたところでした。

「いっぺん死んでみる」で、最後の最後に「記録するモノ」が残ったのは、そういうコトだったのかもしれません。もう、書かない方にシフトするのもアリだとも思ってたのですが、思い返せば、やっぱり自分には「書く」が大事だったんだな。ワークショップの持ち物に「要、筆記用具」とあったので、なにげなく愛用の万年筆を持って行ったのは、大正解だったわけです。

26年の時に、命拾いしてからもうすぐ26年。もう一回、生き直す、次の26年。良いキッカケをもらえました。

ワークショップ終盤の、暢ちゃんの講義「誰も教えてくれない、死に方いろいろ」は、本当にためになった。ガンで死ぬのも悪くないね。最期の日がだいたいわかってる分、自分も周囲も心の準備ができるから。逆に、「ピンピンコロリ」は残された人にとって、あんまりいい死に方ではないんだなというのもわかった。老衰はもっとタイヘンかも…など。

在宅医療で多くの患者を診とり、かつ家族とも対話してきた暢ちゃんだからこそできる「死に方いろいろ」。ワークショップとくっつけた、良いパッケージだと思いました。



 
23:15  |  日々の出来事  |  Comment(0)

祖母を見送りました

2019.05.15 (Wed)

5月12日(日)午前7時45分頃、家の電話が鳴る。今どき、だいたいの用事は携帯電話にかかってくる。家の電話が鳴るのは、発信先がほぼ決まっている。しかも日曜日のこんな時間に。

いい話じゃないのに決まっている。

そして、それは正解でした。
祖母の訃報でした。

約一週間前に「延命措置を希望しない」という本人の意志を実行し、祖母への点滴の管が外されたというのを聞き、「もうすぐだろうな」と思っていたところ、10連休が過ぎ、連休明けの週も過ぎ、「あれれ?」でした。ずっと落ち着かない日々を過ごしていただけに、少しホッとしたというか、「とうとう…」という気分でした。

祖母は、104歳と42日の天寿を全うしました。

1915年(大正4年)の生まれということは、第一次世界大戦(1914-1918)の間に生まれたということ。…ということは、世の中に、まだ帝政ロシア、オスマントルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国が存在した時代。その帝政ロシアは、祖母が2歳になる少し前に二月革命、七月蜂起、十月革命を経て、ボルシェビキ政権である「ソビエト連邦」になる。

調べていて知ったのですが、同じ年に、僕には馴染みの研究者である、経済学者のポール・サミュエルソンが生まれているんですね。そして、同じ年の8月にはイングリッド・バーグマンが誕生!なんという歴史的な年だったのでしょう。

14歳の時に世界大恐慌、24歳の時に第二次世界大戦、26歳の時に太平洋戦争。30歳で終戦。その間に、僕の母も生まれているわけです。社会情勢も自分史も、まさに激動の30年間を生まれてから過ごしてきはったのですね。あらためて振り返ると、すごい人生です。終戦から74年経った今年、人生の幕を下ろしたわけですが、歴史的にみると、本当にご苦労様でしたとしか言い様がありません。大正時代に生まれ、長い昭和時代を過ごし、30年あった平成時代を生き抜け、令和時代を少しかすめ、元号を4つも生き、極楽浄土に旅立ったわけですから。

僕がまだ小学生だった頃の年末、高槻の祖父母宅へ帰省する前に、テレビが壊れたと聞かされました。今年は紅白が見られないのか…と思ったら、当時出たばっかりの「音声多重」テレビが、到着した祖父母宅にドドンと。こういう買い物を「どうせ買うなら、長く使えるエエのをドンと」という感じで買ってくるのが祖母でした。

そういえば、お通夜に集まった親族の皆さんにもお伝えしたのですが、僕の遺伝子検査・DNA検査の結果が「ハプログループA」だった(この記事)ということは、祖母とその子や孫、ひ孫たちは、全員、ハプログループが「A」だということです。もちろん、父方から遺伝子情報がみんなに加わっているので、濃い薄いの差はあれど、あの場に集まったほとんどの人間に、祖母系統の遺伝子情報が流れているという、なんだかオモシロイ集団だったのですね。

まだ、落ち着いて、葬式のことを振り返る余裕がないのか、昨年7月に義父を亡くした時ほど、急展開でもなかった分、心の準備ができていたのか、ここ数日のことがアッという間に過ぎてしまい、上手く言葉になりません。いろいろあったはずの祖母の思い出も、今ひとつ思い出せません。不思議です。ただ、一連の式の中で「ほぉ!」と思ったのは、喪主である僕の母が、最後に挨拶をしたのですが、その話は僕がいうのもなんですが、長すぎず、とても良くまとまっていて、いい文でした。あれでアナウンサー並とは言わないけど、発声がチャンとしていたら、なかなかのスピーチだったと思います。

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極楽浄土の居心地はどないですか?
 
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PICOOCがやってきた

2019.04.04 (Thu)

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PICOOCがウチにやってきた。もちろん僕が買ったんじゃなくて、和子さんの購入物。あまりに天気が良いので、別宅を網戸で開放モードにして、ついでに庭で昼寝でもしようかと思ったところに、「お!配達物が届くとか言ってたな」と思い出し、家に帰ったらすぐに到着。
 
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こういう配達物のうち、事前の「届くよ」情報があるものについて、和子さんの場合は、たいてい開けてもOK。というか、むしろ開封して、中身を確認して、できれば帰ってくるまでに使い方もマスターして、すぐに使える状態にしておくことを求める人。中には、自分が開封したい、ビニールを切りたい、自分が最初に触らりたいという人もいますが(僕はむしろコチラ)、和子さんは前者です(たぶん)。

Bluetoothの設定で一度はつまづくというのが、僕のiPhoneのお決まり。今回ももれなく該当。それ以外は、とってもスムーズ。
 
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そして、最初の計測結果がコレ!内臓脂肪指数だけが黄色表示。他は緑の「素晴らしい」。
 
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スコアは10点中9.8。良き良き。内臓脂肪量の「7」が気になります。体重が普段測ってでる数値よりも1kg多くでます。きっと普段はリノリウム張りの床で測ってるので、フローリングの上で測った、コッチの方が正確なのでしょう。
 
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体内年齢は「48」。実年齢よりも若く出たので、まぁ良しだけど、誤差の範疇でしょう。もうちょっと若いと思ってたんだけどなぁ。原因は内臓脂肪かなぁ?
 
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体脂肪率は14.9%。どっちかと言うと低めではないかと。

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それに対して、内臓脂肪量は「7」という正常値の中では高め。
 
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たんぱくしつは22.3%で「素晴らしい」の上の端。
 
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骨量が2.4kgで正常と不安のボーダー。
 
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「一般的に筋肉質」と診断は出ましたが、内臓脂肪と骨量に問題ありですな。

内臓脂肪は、「食事を節制し、運動を積極的にすれば、皮下脂肪に比べ比較的減らしやすい脂肪といわれています」だそうです。やっぱり食べてる総量が多いんでしょうね。

骨量については、「適度な運動、カルシウムが多く含まれる食事を取るようにしましょう」とデータの下の説明に載ってました。

今回は、使い始めの記録と計測結果も掲載。これを何年か後に見た時、「こんな数値の時があったとは…!!」かもしれないなと思いながら、タイムカプセル的に投稿。
 
22:39  |  日々の出来事  |  Comment(0)

妹と甥っ子がやって来た

2019.03.28 (Thu)

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春の選抜高校野球(第91回大会)が開催され、今日(3月28日)の第2試合は妹の母校、高松商業と市立和歌山の試合があり、妹は名古屋から甲子園まで甥っ子と観戦へ。その帰りに京都の我が家に寄ってくれました。

そういえば…と過去の記事を見直すと、ちょうど3年前の今日も高松商業の応援の帰りに、彼らはウチに寄っていました(この時)。妹と会うのは、去年の6月6日以来(この時)。

今回も超絶方向音痴の妹は、とっくに家に着いててもいい時間なのに来ないので、玄関から表に出て駅の出口方向を見ると、ウチとは反対の方向へ猛烈な勢いで歩いて行くのが見えました。毎回、笑えます。梅田駅で迷い、京都駅でも迷い、近鉄丹波橋駅でも違う出口を出て、正しい出口を出ても逆に歩き始める…真っ直ぐウチに来たことはないのかもしれない。

今年の高松商業は、今日で敗退。妹の話だと、3年前(第88回選抜大会)で準優勝した時とは様子が全然違っていたらしい。試合開始前の練習からして、動きにキレがなく、キビキビ感もなく、キャッチボールをしていても、球をポロポロ落としたり後逸したりしていたんだろうな。序盤の得点差は、そんな空気のまま試合が始まって、アッという間に失点したらしい。甲子園の魔物に取り憑かれたのかもしれない。

甲子園での話から始まり、近況報告、受験情報、仕事の話、高松の話、名古屋の話、今の話、過去の話など、話題は盛りだくさん。破天荒というか、ハチャメチャというか、「歩くネタの種」である妹一家の話はとにかくオモロイ。4時間ほどウチにいたんだけど、まぁ賑やかなこと。甥っ子は普段は超おしゃべりらしいのに、ウチでは静かぁに過ごしてました。いつまでたっても存在に慣れて打ち解けてもらえない伯父&従姉です。それでも、僕の作ったカレーライスは「美味しい」と言って、おかわりしてくれました。

皆が帰った後で、加奈子が「一時期、普通の家族、普通の生活、普通の暮らしに憧れたけど、この変人だらけの血縁者の中では、そんなのあり得んわ!と、改めて思ったわ」と笑いながら申しておりました。変人一族の子なのだと、納得したようです。
 
 
23:45  |  日々の出来事  |  Comment(0)

大丈夫なのか?自分

2019.03.20 (Wed)

一昨日の朝、起きてキッチンに降りると、モニターがエラーを表示していました。
で、お風呂を見に行くと、

これ!

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以前、和子はんがやったのを見て、「アホや」と笑っていたのを、自分もやるコトになるとは…
アホというか、ボケというか。

そして今日。

夕方、塾へ出掛ける加奈子と一緒に家を出て、僕はスーパーで買い物。
「そういや、現金あったっけな?」
と思ったら、財布を入れたサコッシュごと家に忘れて来たのに気が付きました。

まさに「財布を忘れて愉快なサザエさん」状態。
実際にやると、愉快どころではない。
サービスカウンターで買い物途中のカゴを預かってもらい、
坂道を登って家へ帰って財布をもって再びスーパーへ。

ボケボケ事案がつづくと、さすがに「大丈夫か?自分」と思ってしまいます。
まぁ、この程度で済んでいるのが救いです。
 
23:45  |  日々の出来事  |  Comment(0)

眠気には睡眠を

2019.03.03 (Sun)

ここ数日、時差ボケと戦っておりました。
2月18日から28日の10日間、フロリダとアリゾナへ、メジャーリーグのキャンプ取材で…ではなく、和子はんの学会のお伴+居残りで出掛けていました。
 
昔は、東向きの移動の方が時差ボケがヒドかったんだけど、最近は西向きの方がキツくなってきました。去年、アナハイム&ロックフォード行きの時も、帰国後の時差ボケがあったみたいですが、今回はヘビー級でした。

「ここで寝たら後がシンドイ。夜までガマン」

と頑張って起きるも、

「よっしゃ寝るぞ!」

と寝床に就くと3時間くらいで目が覚めてしまう。なんだか機内睡眠のようなパターン。そして、次の日の日中もボーッと過ごす。「ガマンガマン」と昼寝もせずに過ごして、夜まで引っ張って「よっしゃー!」と寝床に就き、またまた数時間後に目が覚める。

さすがに今日はもうガマンできなくなって、昼寝。

なんだかここ数日のあいだ忘れていたような熟睡レベル。13時から15時の2時間だけだけどスッキリ!やっと文字を入力する気持ちになれました。

思うに…眠たいというのは、身体が睡眠を欲している合図。その時に寝てしまえばエエんですね。10分でも15分でも寝れば、なんとかなるのに、それを無理してガマンするから長引くのかもしれません。もう年なんだから、眠気に真っ直ぐ向き合って、寝たい時は寝る!で対処することにします。

ちなみに、一緒に帰ってきた加奈子は、帰国翌日に昼寝して、そのまま朝まで寝続け、翌々日からスッキリ過ごしてました。若さもあるんだとは思うけど、グッと寝てリセットという、一番いい方法で時差ボケ解消してました。その加奈子は、旅行中タイヘンな事になったのですが、その辺りはボチボチとレポートします。
 
 
18:21  |  日々の出来事  |  Comment(0)

近所の話

2019.02.04 (Mon)

明後日、安芸高田市で講演します。
安芸高田と言えば、毛利家ゆかりの地。

そういえば…毛利といえば、ウチの近くに毛利長門町という地名があります。府立桃山高校のある町です(桃山高校は毛利長門東町)。

もともと毛利長門守秀就(ひでなり)の屋敷があった場所。その毛利秀就のお父ちゃんが毛利輝元。その輝元のお父ちゃんが隆元。隆元のお父ちゃんが毛利元就。輝元は安芸の吉田郡山城(安芸高田市にある)で生まれたので、安芸高田市とのご縁なら、輝元からでエエのかもしれません。


毛利長門守秀就の屋敷があった、その毛利長門東町にある桃山高校と道路を挟んで反対側にあるのが、福島太夫南町。そこに住んでいたのが福島正則。そこを尋ねたのが黒田長政の家臣であった母里太兵衛(母里友信)。

その時、そこで生まれたのが、
♪酒は飲め飲め飲むならば♪
の黒田節で表される、あの「これを飲み干せたらば、何でも褒美を取らすゾ」で秀吉から授かった日本号を頂いて帰った、あの出来事。

御香宮の前に、「黒田節誕生の地の立札」というのが、立ってはいますが、正確には福島太夫南町の、ほぼ桃山高校前が誕生の地と言えましょう。御香宮前ってことはないはずです。神社の前の道で、福島正則が酔っ払っていたってコトになりますから。


安芸高田市での講演は、近所のご縁ですねぇ。
  
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髪切りました

2019.01.18 (Fri)

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今年は、髪を切る間隔が開き気味で、ロン毛の時期が長め。これから店に入るゾ!という直前のビフォー状態。
 
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そしてアフター。これで、いつまでもたせることができるんでしょうか?

それにしても、背景がずいぶん変わりましたね。
 
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以前は、こんな感じで、右の空き地にはお寺があったんです。お寺が更地になることもあるんですね。去年だったか、一昨年だったか、久しぶりにカットしにいったら「あれ~ぇ?!」でした。なんかホテルが建つらしいですけどね。こんな感じでバブルの頃の地上げ後みたいな更地が三条近辺にはボチボチできています。実は、町家もものすごい勢いで取り壊されているんです。

ちなみに、去年もこの時期にカット&カラーにきてました(これ)。

 
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