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書く技術についてアレコレ

2019.05.21 (Tue)

あちこちで連載をしていると、たまに聞かれることがあります。
それが、

文章は、どこで習ったんですか?

という種の質問。

僕は通っていた学校(普通の公立学校)以外、ほとんど文章の勉強というのはしてません。まったくの独学です。

たまたま、というかなぜか、母が文章にキビシイ人で、宿題の読書感想文などは、「ここ違ってる!」「ここは『に』ではなく『の』!」「『ら』が抜けてる!」など、容赦ないチェックが入るのが学校以外で鍛えられた瞬間でした。

母がそんなにキビシイ人だったので、小中学校時代の作文の宿題は「また書いても、書いても怒られる」と苦手でした。ちなみに習字は両親共に得意だったので、習字の宿題も、僕の「これでイイや」ではなく、「親の納得(諦め)」が書き終わる基準だったような気がします。賞状なんかももらったことありますが、自分の力で書いた感はほぼゼロ。

高校に入っても、作文は苦手なまんま。おまけに字も悪筆(今でも)。

そんな僕が、「文章ってオモシロいな」と思えたのは、高3の現代文の太田先生の授業。生徒指導でもあったので、どっちかというと普段はガミガミ系の先生だったんだけど、作文に間してはずいぶん間口の広い人で、模範解答的な文章を紹介した後で、いつも半分ふざけたような山口君と村上君の文を紹介して教室は爆笑!「こういうのが書けると、書いてる方も楽しいやろなぁ」とボンヤリ思った記憶があります。相変わらず、書く技術はまるでなしで、書くコト自体も苦手。

今でも書く技術はそれほどあると思いません。どちらかと言うと、他の人が書かないような内容を書いている点で、書く仕事を得ている気がします。

東京新聞の以前の担当さんに、「軽妙洒脱な山田さんの文章」と言われ、「軽妙洒脱?そもそもなんて読むん?」でした。

【けいみょうしゃだつ】
会話や文章などが、軽やかで洗練されていること。また、そのさま。(コトバンクより

いやいや、そんなことないと思います。ノセ上手な担当さん。

少なくとも、
「こう書けば軽やかだろうな」
「これはモッサリしてるな」
と推敲できるレベルじゃございません。偶然、そういった感じに読める文章になっただけです。

それよりも、
もの書きのくせに、「軽妙洒脱」が読めないとは…
だと思います。

実は、読書も苦手。文学好きの母から「アレ読め」「コレ読め」と言われても、全然読む気なし。名作集やら◎◎全集など、家にはたくさんの本があったのは覚えてるけど、ほとんど読んでなかった気がします。

読むのは、国語の授業中の教科書や参考書や試験に出てくる文章のみという、必要最小限の読書量。とはいえ、浪人時代は、ものすごく時間があったので、現代文はたくさんたくさん読みました。文学作品は相変わらず大苦手だったけど、評論はだんだん興味をもって読めるようになったのが救い。

大学生になると、勉強らしい勉強をしなくなり、読む量も書く量も激減。しかも、学者先生の書く文章のなんと分かりにくいこと。唯一、ゼミ担任の宮本憲一先生の文だけは、簡単な日本語で書かれていてスラスラ読める。逆にいうと、僕の読書力でまともに文章を読めるのが、先生の文しかなかったので、ゼミ選択は一択でした。

ある時、たまたま先生と二人になった時があったので、「先生は、どこで読みやすい文章を習ったんですか?」と尋ねると、「ん~駆け出し研究者の時代に、地方新聞でエッセイを連載した時かなぁ。学者にありがちいな文章を徹底的に直されたからねぇ」と仰ってたのが印象に残っています。

そんな僕も、ネットで好き勝手書いていた文章が新聞社の人の目に止まり、新聞で連載をすることに。もともと格調高い文章が書けないので、「徹底的に直される」事はなかったけど、一文に複数の主語が入っていたり、重複表現があったり、クドイ表現になっている部分は、いつの間にか担当さんの修正が入っていました。モトの文と修正済み文を見比べながら、「こう書くとアカンのか…」「くだけた表現だけど、これはOKなのか」と自主学習。

というわけで、書く技術の習得に間しては、

編集段階でプロが修正した文章をみて学んだ

いうのが正解かもしれません。

ネット上の文章を読んでいると、難しい言葉を使いこなしている人が大勢いますね。読書量が違うせいか、僕には「軽妙洒脱」のように、意味がわからないどころか、読み方すらわからない言葉がたくさん出てきます。こんな言葉よく知ってるなぁと思います。でも、仮にそういう言葉を僕が原稿で使ってても、すべて分かりやすい言葉に置き換えて編集されます。つまり、難しい言葉を使えるようになる必要がないのです。文芸作家の皆さんに比べると、おそらく語彙力はかなり乏しいと思います。



こんな僕には、書けない時の「お助けアイテム」があります。

一つは音楽。
NANDO LAURIAの曲が流れると、なぜかスルスルと書けるんです。家事連載の原稿は、行き詰まるとたいていこの人の曲を流しながら書いてます。

もう一つは本。
こっちは「書けへん…」「もう書くの止めようかな?」という時、いわゆるスランプ時に読む、読書嫌いの僕が読む本!

文春ビジュアル文庫のスポーツ・グラフィック「ナンバー」編
激走!F1 歴史に残る30の名レース

紙に書かれたレース記録文集。それなのに、スタート前の緊張感から始まり、ドライバー同士の背景やチーム事情やシーズンポイントにまつわる経緯などが絡みながら、ゴールに向かってどんどんヒートアップしていく。もともとよどむことなく読める文が、最後には爆音で通り過ぎるスピードをも感じながら読めるんです。もともとレース好きというのもあるけど、それ以上に文章が素晴らしく、読む楽しさを思い出させてくれる一冊。

「こんな文章が書けるようになりたい!もうちょい頑張ってみようかな」
となれます。

30レースの中でも、とくに、林信次さんが書いた「1976年F1世界選手権 イン・ジャパン」は絶品。僕はそのレースをリアルタイムで知ることも見ることもなかったけど、今でも観客の一人になってレースを楽しめる名文だと思います。

その1976年のF1シーズンの主役は、ジェイムズ・ハントとその年のドイツGPの事故で大火傷を負いながら復帰してきたニキ・ラウダ。そのニキ・ラウダが5月20日に70歳で亡くなったと、今朝ニュース(こちら)で見ました。

 
18:17  |  日々の出来事  |  Comment(0)

いっぺん死んでみました

2019.05.19 (Sun)

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マラソン繋がりの上原暢子さん(以下、暢ちゃん)のワークショップ、「いっぺん死んでみるWS@京都」に参加しました。

そもそも、ラン友というだけで、なんでこのワークショップに申し込んだのか?確かに先週の日曜日に祖母が亡くなり、火曜日に葬式したけど、申し込んだ時は、4月にハワイへ行く前だったし、こんなタイミングになるなんて知らなかったし…、とにかく自分でも謎ではあったのですが、「あぁ、そういうことだったのか!」と腑に落ちる機会を得たのでした。

「この先、そう長くないぞ」そう思った時、迫られるのは余計な執着を捨てること。そこで、間違ったモノに固執して、「死んでも死にきれんわ!」と思うかもしれないけど、いっぺん死んでしまったら、「まった!」も、「もういっぺん死なせて!」も通用しない。人生の最後の最後の場面で、本当の本当に一回限りの究極の選択。貧乏人にも金持ちにも、不細工にも男前にも、一回しかチャンスがない、この執着の断捨離。

ワークショップの結果、僕は最後に「自分」と「通信環境」という二つを残してました。「通信環境」というのは、途中から「なにか記録するモノ」と、自分でも書き間違えていたのに気付いてました。2月と4月にアメリカに滞在した時、とくに2月のフロリダとアリゾナ滞在で、スマホとバッテリーと4Gがライフラインになっていることを痛感したので、それで「大切なモノ」に「通信環境」(もちろん「バッテリー」も「スマホ」も書いてたけど)を書いたんだけど、実はそうじゃなかった。

「自分」と「記録するモノ(例えば、紙&ペン)」。

そして、最後の最後、自分が死んでも「記録するモノ」が残る意味は?

あ、そうか!
書いたモノが自分が死んだ後も残る(残したい)と思ってたのか!
と気が付きました。

ワークショップの後のシェア発表。
いきなり、暢ちゃんに「じゃぁ、亮さんからね」と言われ、
発言場所までの移動中にポロッと出たのが、
「ぶっちゃけ、実は、いつ死んでもイイと思ってたんですけどね…」という、自分でも驚くひと言。

ワークショップ中に思い出した、26歳の時にストーカーから殺されかけた経験。あの「いっぺん死にかけた」経験からもうすぐ26年経とうとしてたんですね。自分でも忘れていました。人生のどん底が26歳の時で、そこからいろんな人のご縁と運だけで、今の極楽生活な自分がいます。

今が人生で一番ハッピーな時だから、そりゃ「いつ死んでもイイ」と思ってたんですけど、「書いたモノ」を出し切れていない自分がいることを、いっぺん死んでみることで、「まだ死ねんわ!」と自覚。「まった!」ができてヨカッタ。

そういえば、「いろんな人のご縁と運」は、全部、僕が書いたモノを誰かに読んでもらって、「大学院に進学してみない?」「会ってみません?」「取材させてもらえませんか?」「講演の依頼したいんですが…」「テレビ出演の問い合わせです」「出版してみません?」と繋がった結果。本当に、一回も「読んで下さい」「会って下さい」「取材に来て下さい」…とこっちからアプローチをした経験がない。出版に繋がらなかった出版企画ですら、「企画書書いてみませんか?」という問い合わせがあり、「んじゃ、この機会に」と企画書書いて没に。本当の本当に営業ゼロで今の仕事をしてます。でも、売り込みこそしてないけど、Webサイトをアップできるようになった1997年以降、ほぼ毎日、いろんなコトを書いてネットにアップしていました。あの書き続けた結果が、今のこの好き勝手な極楽生活。

自分でも薄々感じていたんだけど、最近発信力が低下してます。書きたいことはあるのに、書くエネルギーがない。書くよりも寝てしまう。そして、発信することに自分で敷居を設けてしまって、書くことが好きだったのに、書いては削除の繰り返し。もう書けなくなったのかも…と思っていたところでした。

「いっぺん死んでみる」で、最後の最後に「記録するモノ」が残ったのは、そういうコトだったのかもしれません。もう、書かない方にシフトするのもアリだとも思ってたのですが、思い返せば、やっぱり自分には「書く」が大事だったんだな。ワークショップの持ち物に「要、筆記用具」とあったので、なにげなく愛用の万年筆を持って行ったのは、大正解だったわけです。

26年の時に、命拾いしてからもうすぐ26年。もう一回、生き直す、次の26年。良いキッカケをもらえました。

ワークショップ終盤の、暢ちゃんの講義「誰も教えてくれない、死に方いろいろ」は、本当にためになった。ガンで死ぬのも悪くないね。最期の日がだいたいわかってる分、自分も周囲も心の準備ができるから。逆に、「ピンピンコロリ」は残された人にとって、あんまりいい死に方ではないんだなというのもわかった。老衰はもっとタイヘンかも…など。

在宅医療で多くの患者を診とり、かつ家族とも対話してきた暢ちゃんだからこそできる「死に方いろいろ」。ワークショップとくっつけた、良いパッケージだと思いました。



 
23:15  |  日々の出来事  |  Comment(0)

祖母を見送りました

2019.05.15 (Wed)

5月12日(日)午前7時45分頃、家の電話が鳴る。今どき、だいたいの用事は携帯電話にかかってくる。家の電話が鳴るのは、発信先がほぼ決まっている。しかも日曜日のこんな時間に。

いい話じゃないのに決まっている。

そして、それは正解でした。
祖母の訃報でした。

約一週間前に「延命措置を希望しない」という本人の意志を実行し、祖母への点滴の管が外されたというのを聞き、「もうすぐだろうな」と思っていたところ、10連休が過ぎ、連休明けの週も過ぎ、「あれれ?」でした。ずっと落ち着かない日々を過ごしていただけに、少しホッとしたというか、「とうとう…」という気分でした。

祖母は、104歳と42日の天寿を全うしました。

1915年(大正4年)の生まれということは、第一次世界大戦(1914-1918)の間に生まれたということ。…ということは、世の中に、まだ帝政ロシア、オスマントルコ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国が存在した時代。その帝政ロシアは、祖母が2歳になる少し前に二月革命、七月蜂起、十月革命を経て、ボルシェビキ政権である「ソビエト連邦」になる。

調べていて知ったのですが、同じ年に、僕には馴染みの研究者である、経済学者のポール・サミュエルソンが生まれているんですね。そして、同じ年の8月にはイングリッド・バーグマンが誕生!なんという歴史的な年だったのでしょう。

14歳の時に世界大恐慌、24歳の時に第二次世界大戦、26歳の時に太平洋戦争。30歳で終戦。その間に、僕の母も生まれているわけです。社会情勢も自分史も、まさに激動の30年間を生まれてから過ごしてきはったのですね。あらためて振り返ると、すごい人生です。終戦から74年経った今年、人生の幕を下ろしたわけですが、歴史的にみると、本当にご苦労様でしたとしか言い様がありません。大正時代に生まれ、長い昭和時代を過ごし、30年あった平成時代を生き抜け、令和時代を少しかすめ、元号を4つも生き、極楽浄土に旅立ったわけですから。

僕がまだ小学生だった頃の年末、高槻の祖父母宅へ帰省する前に、テレビが壊れたと聞かされました。今年は紅白が見られないのか…と思ったら、当時出たばっかりの「音声多重」テレビが、到着した祖父母宅にドドンと。こういう買い物を「どうせ買うなら、長く使えるエエのをドンと」という感じで買ってくるのが祖母でした。

そういえば、お通夜に集まった親族の皆さんにもお伝えしたのですが、僕の遺伝子検査・DNA検査の結果が「ハプログループA」だった(この記事)ということは、祖母とその子や孫、ひ孫たちは、全員、ハプログループが「A」だということです。もちろん、父方から遺伝子情報がみんなに加わっているので、濃い薄いの差はあれど、あの場に集まったほとんどの人間に、祖母系統の遺伝子情報が流れているという、なんだかオモシロイ集団だったのですね。

まだ、落ち着いて、葬式のことを振り返る余裕がないのか、昨年7月に義父を亡くした時ほど、急展開でもなかった分、心の準備ができていたのか、ここ数日のことがアッという間に過ぎてしまい、上手く言葉になりません。いろいろあったはずの祖母の思い出も、今ひとつ思い出せません。不思議です。ただ、一連の式の中で「ほぉ!」と思ったのは、喪主である僕の母が、最後に挨拶をしたのですが、その話は僕がいうのもなんですが、長すぎず、とても良くまとまっていて、いい文でした。あれでアナウンサー並とは言わないけど、発声がチャンとしていたら、なかなかのスピーチだったと思います。

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極楽浄土の居心地はどないですか?
 
23:45  |  日々の出来事  |  Comment(0)

連休の片付け

2019.05.11 (Sat)

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連休中、連日活躍したウェーバーのBBQコンログリル。連休が明けて、ふと見ると、灰だらけ。どっちみち汚れるモノではあるけど、これが登場するのは、ちょっと日常から離れる時なので、ピカピカの方が気分も盛り上がるだろうから、キレイに拭き掃除しました。

しかしまぁ、10連休中。本当に活躍しました。
 
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これはコストコのアメリカンビーフ。
 
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この時は、愉快な研究友達とのパーティー。

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次は、万代で買った厚切りビーフと鶏もも肉。

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この時は、義母と義姉一家という親族パーティー。

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またまた厚切りビーフが登場。この時は、和子さんの研究室の学生と教員、村上サロンオーナーの村上氏など、総勢13名のペーティー。

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この日は、鯛の開きと鰤の切り身。肉もイイけど、魚もこのグリルで焼くと表面パリッと中シットリと焼けて、なかなかです。ひっくり返す時に網にくっつきがちなのが欠点でしたが、昨晩、Homely® 洗えて再利用可能!くっつかないグリルマット(3枚入り)を衝動買い。これで魚のグリルも楽チン?

物置に、約二箱分あった炭は、ほとんど無くなってしまいました。また補充しとかないと。炭もいろいろありますね。使ってみて、はじめてわかりました。まだまだ模索中です。

このグリルを買って、本格的に庭で炭火焼きをするようになりました。もちろんこのグリルはお値打ちものだったと思いますが、それに加えて、「買って良かった!」なのが、キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) 大型火消し壺 火おこし器セット

これを手に入れるまでは、火おこしが苦手だったのですが、このセットを手に入れてからは、確実性がグンとアップ。ほぼ火おこしは失敗なし。そして、そのまま消し壺にもなるから、残った炭で火おこしすると、今度は簡単に着火。消し壺と火おこしをセットにするとは、本当にいいアイデア。これで一気に炭の扱いが簡単に。
 
22:45  |  家事・子育て  |  Comment(0)

新しい冷蔵庫が来た

2019.05.10 (Fri)

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冷蔵庫というものは、おそらく室内で一番容積のデカいものであり、しかも24時間365日稼働している(今どきの省エネ冷蔵庫は休み休み動いてるらしいけど)にも関わらず、冷蔵庫の画像を探そうとすると、中を写した画像はあれど表はなにげなく写り込んでいる物以外なかなか見当たらないもの。
 
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あった!と思っても、下まで写ってなかったり。そのわりには、Airbnb‎で泊まった先の冷蔵庫は全身撮ってたり。そんなウチの冷蔵庫は、この家を建てて引っ越してきた時以来、14年の付き合いでした。
 
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5年前に突如、モーター音がデカくなって「そろそろ終わりか?」と思ったら、急に沈静化。約2年前に冷蔵庫に入れた麦茶のボトルの締まりが悪く、中身が漏れ出し、おそらくそれが原因で製氷機が壊れてしまいました。そして、この春先、冷凍庫のドアの締まりが悪くなり、原因を調べていると、上の画像のように、冷凍庫の裏と底に氷がビッシリ。

もはやこれまで、ということで、平成の最後の最後に買い替えることに。
 
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新しく来たのは、ネットワーク機能を搭載し、メニューや天気、家族の伝言などを表示できるという触れ込みの、いわゆる「IoT」冷蔵庫。ところが、肝心のネットワーク連携。ルーターがメーカーの動作確認非公認機ということで、あっさり接続不可。一瞬にして、ただの冷蔵庫に成り下がりました。

いいところは、なんと言っても収納容量の増大。サイズはほぼ同じなのに、容量は約100リットル増加。新しい冷蔵庫を選ぶに当たっての第一条件が、冷凍庫の増量化。これが実現でき、コストコの冷凍食材がドンとそのまま収納できるのはイイ!野菜室が真ん中なのもイイ。これまで横に広かったのが縦に伸びた感じだけど、これはすぐに慣れました。

ザンネンなのは、SHARPのウリの「プラズマクラスターうるおいチルド」。せっかく半分ずつ開けられるフレンチドアなのに、両方開けないと、この「プラズマクラスターうるおいチルド」が開けられない。フレンチドアのタイプは、「プラズマクラスターうるおいチルド」をドアサイズに区切れば、半分開けでも引き出せるのに。

それと卵のケース。これは前の三菱冷蔵庫の卵収納庫が秀逸でした。それに引き換え…ケースの卵穴が14個ってどういうこと?です。卵はたいてい10個入りか6個入りでしょう。16個穴ならまだしも、14個って…開発者は買い物に行ったことがないのか?こういう細かいツメが甘いなぁと思います。

たいていの機能については、徐々に慣れてきているところです。長年使うと、慣れすぎてしまって、次に変わると違和感しかないです。新しい家電に変わって「使いにくい」という場合、この卵穴のように、明らかに新しい方がボケてる場合と、使い手がボケてきて変化に付いていけてない場合とがあると思います。適当なところで次に乗り換える方が、脳への刺激もになってイイと思います。

扉の引っ掛かりが、下から上向きにが、上から下向きになったので、最初の二日間くらいは「おっと!」でしたが、今やスッカリ慣れました。まだ順応できる!

 
18:02  |  家事・子育て  |  Comment(0)

オアフ島北部ツアー

2019.04.30 (Tue)

ホノルルハーフマラソン(この記事)の翌日。同行のラン友、佐藤さん企画ツアーは朝が早い!レンタカー「Hertz」の開店時間7時に合わせて6時45分集合。前日は、ホノルルハーフの6時スタートに合わせて4時起きしたので、6時半集合はまぁたいしたコトはなかったと言っておこう。

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レンタカーも2回目だったので、手続きはスムーズ。インスタグラムではお馴染みのこの壁を車内からチェック。

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そしてナビもバッチリ、ハイウェイを下りてすぐを曲がる!ドンピシャ!モアナルア・ガーデンズへは一番乗り。一番乗りだと、背景を気にせず撮り放題。佐藤ツアーズの皆さんも撮り放題。

と、しばらくするとJTBのバスが到着。飛行機の到着からホテルのチェックインまでの観光タイム。到着早々、バスに乗って、観光地巡りはタイヘンだろうなぁと思いながらも、ツアー主催担当者とおぼしき方にはご挨拶。予感がしたんだな。



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佐藤ツアーズはJTBにも負けない過密スケジュール。1歳児がいるので、余裕をもつため、とばせる所はとばす。そして、ドールプランテーション

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パイナップルの実がなってるところ。いつも、「こうだったはず」と思い出すんだけど、どこかで間違えていたパイナップルの実。こっち向きだったのね?

パイナップルジュースを飲んだり、Tシャツを買ったりしているうちに、モアナルア・ガーデンズで遭遇したJTBのバスが到着。やっぱり!というわけで、またまたご挨拶。

そして佐藤ツアーズは先手を打つ!次や!

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うほ~ノースショア!このみちを通るのは2回目だけど、毎回、ヒャッホ~!と叫んでる気がする。

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お昼はクアアイナと決まっていたんだけど、朝が早かったのもあって、すでに腹ペコ。そこで「軽く」スーパー「Mālama Market」でポキボウルを食べることに。これが意外とけっこうなボリュームだったけど、佐藤ツアーズの同行家族(佐藤さんの娘家族)「酒井フードファイターズ」に「もう食べられない」はない安心感。「『もう食べられない』『頼み過ぎ』という言葉は、彼らの辞書にない」の通りペロリ。

少し腹を減らすべくハレイワの通り沿いを散歩。そしてノースショア・マーケットプレイスで、またもやJTBツアーズと遭遇。いやぁ、こちらは少人数でトイレ休憩などしながらここまできたけど、バス一台ほぼ満席でのツアーはなかなかタイヘンだと思います。皆さんいったいどこでご飯を食べるんだろう?という心配も。

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そして、クアアイナの11時に遅れること約1時間。クアアイナの店内へ。

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行列は短くすんなりオーダー。さすがにこのサイズの店舗にJTBツアーズの皆さんもやってこず、落ち着いてオーダーそして食べる!さっきポキボウルを食べたばっかりなのに食べる。アボカドバーガーは、アボカドが半分そのままドンと搭載。上からギュッと押し込んで食べるのが正解らしいけど、薄切りしたり、どう食べてもイイらしい。美味しければナンでもエエんでしょうね。

ずっと以前、家族と来た時に、ハンバーガー好きの大学の後輩に「そこまで寄ったのなら、クアアイナの本店が近かったですよ」とコメントされて、「あ!そういやハンバーガー屋さんあったなぁ」という程度でした。今回は、無事に訪問できたのでヨカッタ。

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佐藤ツアーズ、次の訪問地は、ワイメアの滝。その前に、ワイメア・ビーチ・パークで若夫婦の時間を、我々ジジイで提供。たまたまベイビーが眠りこけてたので、この貴重な時間に「せっかくなので、お二人でビーチへどうぞ」と。

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しばし、ノンビリした後は、ワイメア峡谷へ。

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ユックリジックリ説明をインカムで聞きながらワイメアの滝まで。佐藤ツアーズは移動はアグレッシブだけど、滞在中はわりとノンビリ。太古からのハワイアンの暮らしの説明もあり、好奇心をそそられる説明でした。

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最後に、「ここを訪れると、再びここに来ることができる」らしい。こっちじゃなくて、カウアイ島のワイメア渓谷へも行ってみたいけど、ひとまず参拝。

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来た道を帰るルートもあったけど、佐藤ツアーズの移動はアグレッシブ。島の東側を走って、ポリネシア・カルチャー・センターや、クアロア・ランチを回るルートに。前回、2017年はホノルルマラソンの後、クアロア・ランチに来たなぁ。今回はトイレ休憩で立ち寄り。

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帰りのルートとして、これまで通ったことのない道「ジョン・A・バーンズ・フリーウェイ」を通ってみることに。すると、ハワイ滞在二日目に訪れたアロハスタジアム方面に。渋滞予測の出ている「H201」を避けて「H1」とおり、そのまま海沿いを走ってアラモアナを目指すことに。

佐藤さんが、「あ、これってカカアコ・エリアを通るけど、ウォールアートにも寄る?」と提案。最近、インスタ映えで有名になり、訪れる人が増え、それでトラブルも起きていると聞き、ビビリながらも「ココかな?」「その向こうか?」と探していたら、

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見付かりました。

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この壁の隣のバスケコートでは、地元の高校生くらいの若者達がバスケに興じていて、人目があったので少し安心でした。

全体的にみても、前回2017年にホノルルマラソンで来た時以上に、ホームレスの数は増えているように思いました。短期滞在者であっても、南の楽園というイメージだけではない雰囲気になってきたのは確かです。

トランプ政権になってから、増えているのかどうかはともかく、とにかく増えている印象があります。それと女性のホームレスも目立ってきた気がします。ワイキキビーチ沿いのベンチも、夜はホームレスで占領されています。僕は大学生時代、大阪市の南の方で暮らしていたので、ある程度、ホームレスと共存している町には慣れている感があります。昼間から開いている飲み屋にも、そこ集まる酔っ払いにも、まったく抵抗はありません。ただ、外国のスラム街の中には、想像を超える場所もあるので、そこはやっぱり慎重になります。

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夜は、僕と加奈子のお気に入りのハンバーガーショップ「Teddy's Bigger Burgers」。

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僕は普通にチーズバーガーとオニオンリングを頼んだんだけど、フードファイターズの皆さんはDoubleやTripleを頼んでました。さすがです。

今、知ったんですが、日本にも支店があったんですね(日本のサイト)。

朝から晩までギッシリ濃密な、佐藤ツアーズ企画オアフ島北部を回るオプショナルツアーでした。
 
19:22  |  旅行  |  Comment(0)

ヘッドへ2連発

2019.04.29 (Mon)

4月のうちに4月のことを載せとかないと!と大慌てで更新中。
ホノルルハーフマラソンに出たのは前の記事(参照)の通り。その翌翌日の話。

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朝から天気がイイので、ダイヤモンドヘッドに登ることに。同行の佐藤ツアーズ(ラン友佐藤さんとその娘さん夫婦&1歳児ベイビー)の皆さんと一緒にユルユル。ダイヤモンドヘッド入口まではタクシーで。混む前に登ろう!というか、涼しいウチに登ろう!ということで、7:23にココ。

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7:59にはココ。大人だけならもっと早く登れたかもしれないけど、すでに通路は人がボチボチ混み始めていたので、どんなに頑張ってもこんなモンだったと思います。これで3回目の…あれ?4回目だったかな?のダイヤモンドヘッドです。

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ちょうど下りてきた時に、これから登るという同じシャツを着た人、つまりハーフマラソンで一緒に走った人と遭遇(ここまでにも何人かいましたけどね)。ちょっと話せそうだったので話してみたら、フィンランド人。人口比率からいうと、なかなか会えないフィンランド人だけど、なぜかスウェーデン人よりもはるかにたくさん僕は会ってます。

「フィンランドのどこの町にお住まいですか?」と尋ねると、隣にいた女性が「ヘルシンキの西160kmくらいのところ」と言う。「エライ離れてるなぁ」と思い、「もしかしてトゥルク?」と答えると「あら!知ってたのね?」と。「ハンコやタミッサーリにも行ったことあります」と言うと、えらく嬉しそうでした。

フィンランド人はおしなべてシャイで、とくに年配の男性はあんまり社交的ではありません。ある年齢以上は英語教育を受けていないのもあるみたい。でも、女性はおしゃべり好きな人が多いのか、年配の人でも英語が通じる人が多いんです。僕たち世代以降になると、皆さん普通に英語使ってます。フィンランド語とスウェーデン語、そして英語。近いからロシア語に堪能な人も大勢います。

必死振りにフィンランド語でヒュバーパイヴァー!と言ったのに、モイ!やヘイ!ナケミーンを忘れてました。また、フィンランド行きたいなぁ。

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登って下りて、カピオラニ公園まで全部歩いてきました。下から見上げるダイヤモンドヘッド。

佐藤さん娘家族は、この日、ホテルを移動。11時のチェックアウトに合わせて、荷造りをしてホテル移動。それに合わせて一旦ホテルに帰る。そしてお昼を食べて、「さて、午後はどうしますか?」という話に。16時から旅行の打ち上げをしよう!ということで、それまでブラブラしようということに。ただ、とはいってもなかなか時間は過ぎないもんです。

で、ここはいっちょココヘッドを目指してみるか?という話になり、じゃぁ、さっそくUberで行きましょう!ということで、チーズケーキファクトリーの前からUberでココヘッドトレイルの入口まで。運転手のJohnさんから、「ココヘッドに登ったらあっちを見るべし」というレクチャーがありました。 「手前に見える薄っぺらいのがモロカイ島で、その奥にマウイ島、右手にラナイ島が見える…ん、今日は天気がイイから。お!ここからも似たようなアングルで見えるで」とダイヤモンドルックアウトで一時停車。なんやかんやと差^ビス精神旺盛のジョンさんでした。

「あ、一昨日ハーフ走ったか!じゃぁココヘッドも軽いな!」
というエールをもらって、イザ!

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「グルッと回るとトレイルがあるよ」と言ってたとおりに歩いて行くと、電線にシューズがたくさん引っ掛けてありました。あれはナンだったんでしょ?

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で、トレイル入口!とにかく真っ直ぐ登る!

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とにかく急勾配。

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そして地盤は所々、こんな感じで抜けている。わきを登るか線路を綱渡りするか?岩面はツルッツル。ロード用のシューズでは登りにくいです。靴底はトレイル用か登山用が欲しいところ。

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途中から勾配はさらにアップ。なんだかヘンな角度で登ることに。ふと、「帰りはどうやって下りるんかな?」と不安になる。

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線路の終着点は、ラピュタ状態の廃墟。ここもダイヤモンドヘッドと同様に、要塞だったようなので、その物資搬入のために線路が引かれてたのかも。とはいえ、モーターで引き上げないと機関車では登れない勾配です。

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眼下に見るはハナウマベイ。結局、今回もハナウマベイでのシュノーケリングはしてません。今後の宿題です。

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そして運転手John氏が「見るべき」といったモロカイ島とマウイ島。

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こっちはカハラと向こうに見えるファイヤモンドヘッド。ホノルルマラソンってのは、向こうのダイヤモンドヘッドから手前のカハラのラグーンまできて、またダイヤモンドヘッドの向こうに戻るコースなんですよね。ずいぶん長い距離やなぁと、高い所からみると感じます。

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で、問題の下り。予想通り、登りよりも下りの方が難しい。枕木と枕木の間が開いていて、しかも土が抜けていたり。しかも足下はツルッツル。着地したらツルッと滑って、弁慶の泣き所を次の枕木にぶつける!という激痛ヒットを早々にやらかして、それ以降はかなり慎重ぉに下りることに。

途中、完全に枕木下に土がない部分(つまり橋状態)の箇所があるんですが、僕はわりと平気にッヒョイヒョイと下りられたんですが、佐藤さんは「もぉアカン!無理や」と、座ったまま一段ずつ尻をずらしながら下りるという超慎重状態。

登り35分、下り25分でした。高度差は300mなのでたいした高さじゃないけど、とにかく登りにくい。僕たちが登って下りている間に、2往復しているツワモノがいました。

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下から見上げると、まさにこの稜線の角度を登ってのがわかります。途中から異様な勾配なのもよくわかります。

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そして、このココヘッドトレイル。特筆すべきは「音」です。

とくに登りはじめのところあたり。近隣になるKoko Head Shooting Complexでの射撃音がパンパンパンパン聞こえます。自動小銃も撃てるので、連射の音も聞こえるし、薬莢のカランカランという金属音も聞こえます。AK47カラシニコフやM16なんかも撃てるみたいですが、僕は音では違いがわかりません。が、銃声を聞きながらトレイルするというのは初体験。いくら軍オタであっても、なんかヘンな気分。

ココヘッドからの帰りは、Jamesオヤジの運転するUber。これまで乗った中で、一番散らかった車内だったけど、一番アメリカらしい車。そして、このテキサス出身のアフリカ系アメリカンオヤジの英語は、最初の5分くらいまったく聞き取れず。単語の切れ目がわからんのです。そのうち文の中のアクセントに気が付いて、そこだけ耳ダンボにすると、「あ~娘の自慢話ね」「え?ウツボ釣ったん?」という話も。降りる時にはすっかり打ち解けて、楽しい帰りのUberタイムでした。

午前にダイヤモンドヘッド、午後にココヘッド。そして夕方からはハードハウスでツアーの打ち上げ。さすがに腹ペコだったので、佐藤ツアーズの佐藤さんと娘家族(別名、酒井フードファイターズ)の皆さんとドカ食い&ドカ飲みしました。なにしろハッピーアワー!!

ココヘッドは、ダイヤモンドヘッドが物足りない人にはオススメです。ダイヤモンドヘッドでヘロヘロという人は、行ったらあきません。
 
15:35  |  旅行  |  Comment(0)

ハワイ旅行中の買い物

2019.04.23 (Tue)

僕も和子さんも仕事がら移動(旅行)が多いので、その都度お土産を買っていたらキリがないから、基本的にお土産は最小限。

そんな中、今回は、加奈子から「時間があればでイイから、Kliban catのTシャツを買ってきて」とのリクエストが。
 
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というわけで、ドールプランテーションに行った際、そこで売られていたドールプランテーション限定のKliban catシャツを購入。

この色は珍しい(はず)。
少し大きめのリクエストだったので、「XS」ではなく「S」。
帰国後、加奈子に着せてみたらリクエスト通りのサイズ。
喜んでもらえました。
 
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続いては、和子さんへのお土産。
特に、夫婦間ではお土産を買わない僕たちだけど、今回は加奈子のを買った勢いで、ワイキキビーチウォークのCRAZY SHIRTSに寄って購入。

この首周りのシャツもあんまり見かけない気がします。
「M」でピッチリかと思ってたけど、帰国後、和子さんが着ると普通。
逆に、加奈子に買ったドールプランテーションのシャツはパッツンパッツンでダメでした。
まだまだ成長中の和子さんの胴体サイズ。
もはや僕の情報の及ぶ範疇ではございません。
 
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ちなみに、ワイキキビーチウォークの店に行く際、僕が着ていたのがこのTシャツ。
何の気なしに選んで着たこのシャツも、シャツやの店員の目に留まると、
「なんてクールなTシャツ!」
と絶賛頂きました。
2015年8月にハワイ島で買ったシャツ。ハワイに行く度に同じものがないかと探しているんだけど、未だに巡り会えないシャツです。さすがにヨレヨレにくたびれてきてます。
 
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僕は毎回HOKAONEONEを買ってますが、ハワイは在庫が今ひとつ。もともとHOKAを買うつもりもなかったんだけど、サングラスを持っていくのを忘れたので、ホノルルハーフマラソン-ハパルアの受付会場で30%offセールをしていたオークリー。14,000円くらいで買いました。

あんまり詳しくなくて、帰国後いろいろ調べたら、けっこうお高いサングラスなんですね。軽いし、かけ心地イイし、視界がキレイで気に入ってます。良い買い物しました。
 
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家用に買ったのは、石けん。
いつもハワイへ行く度に、買おうかどうしようかと思いながら、結局買わない香りの石けん or ロウソク。今回は、Aloha Stadium Swap Meet & Marketplaceへ行ったついでに購入。

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そういえば、Aloha Stadium Swap Meet & Marketplaceでビーチタオルを買ったんだった。
速乾、砂が付かない、超ソフト素材、超軽量、抗菌という触れ込みのビーチタオル。
夏の昼寝時の汗対策に使えるかと。

あと、7枚で$20のTシャツも。いろいろ眺めていたら、「8枚で$20でイイよ」とオバちゃんが声掛けてくれたので、同行の佐藤さんのTシャツを一枚追加。ところが、この店はsquareの決済システムが不調で現金オンリーに。結局、佐藤さんに建て替えてもらったというオチ付き。

なんだかんだ、結局、自分の使うもの中心の買い物ですね。けっしてお土産メインではありません。毎回そんな感じです。
 
18:50  |  旅行  |  Comment(0)

ホノルルハーフマラソン完走しました

2019.04.15 (Mon)

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ホノルルハーフマラソン、正式名はHapakua - Hawaii's Half Marathon 2019 に出場して完走しました。タイムははじめてハーフマラソンで2時間以上かかったという自己最低のタイム(2時間3分48秒)。とはいえ、最近で一番多く写真を撮ったマラソンだったかもしれません。

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まずはスタート前、ディーク・カハナモクさんにご挨拶。このデューク像前がスタート地点。ホテルはここから歩いて数分の距離。30分前にホテルを向かった時には、すでにたくさんの人とアナウンスで雰囲気が盛り上がっていました。

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海外でのマラソンは、2017年のホノルルマラソンに続いて2回目。スタート時刻が早いので、ホテルの部屋で朝ご飯を食べるんだけど、いったい何を食べれば…とまだまだ模索中です。今回は、グラノーラを手に入れ、それをポリポリ。クロワッサンは炭水化物補給。オレンジジュースも糖質補給。タンパク質が不足気味だけど、前日までで過剰摂取していることとして。
 
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「スタート」が鳴らされる直前の様子。ホノルルマラソンは日本人が圧倒的に多いけど、このハーフは外国人比率が高いです。日本語の応援はポツ…ポツ…とあるから、海外マラソンのアウェー感と日本人が多いホーム感の中間くらいでしょうか?ホノルルマラソンはハワイという土地でありながら、かなりホーム感のある大会ですね。
 
今回は、応援のボードを中心に撮ってみました。もともとハーフなので、距離が短い分、応援の人もボードもお祭り感はやや少なかったけど、その分、撮る方も撮られる方も貴重なので、お互いにThank youでした(たぶん)。こっちも暑苦しそうな六文銭の兜帽子を被ってたので、それに免じて笑顔で答えてくれたのかも。

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撮るのに止まって、そして走り出して、また止まって…というのをやっていると、何度も何度も抜かれて抜いてを繰り返す人がいます。この彼女もその一人。そして最後の1.5kmは、彼女との競争に。最後、グンとペースを上げて追い上げてきたので、走りながら聞くと「自己ベスト狙ってる!」というし、こっちはすでに自己ワーストが決定してたので、「よっしゃぁ、最後までオッチャンが付いて走ったる!」と伴走&声かけ。無事に彼女の自己ベストを見届けました。

タイムはもともと狙ってなかったので、お祭りRUNができてよかったです。地元でAirBnBをしている人に聞くと、天気はここのところ天気がズッと悪かったのに今日はとっても天気がよかったそうです。夕方には、また嵐のような黒雲がきてます。日中だけ天気がよかったようです。

今回は、久しぶりに途中のトイレ休憩はナシでした。なんてったって、ハーフだし。

公式タイムは2時間03分46秒
5km 00:29:52
10km 01:00:31
15km 01:30:48
きっちり6分/kmのペース。
最後の6.01975kmは32分58秒5分で5分29秒/kmペース。
最後の1kmは5分/km。

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そういえば、今回、計測チップの回収ってなかったな。そもそもチップってどれだったんだ?…ということで、ゼッケンの裏にありました。こんなに薄くて軽いチップ。しかも回収不要。なんて便利。日本の計測システムも進化してるけど、これはスゴいと思いました。
 
14:17  |  ランニング  |  Comment(0)

自分の遺伝子的ルーツが判明!

2019.04.08 (Mon)

MYCORDの遺伝子検査・DNA検査の結果が届きました。

その結果、

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ハプログループ「A」というルーツでした。ハプログループAは、

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人類共通のルーツであるアフリカ大陸を出発した後、中東に寄り、そこから一気にシベリア北部まで移動します。日本に来た大半のグループが通る、インド西部を経由せずです。狩りに夢中になって、気が付いたら涼しい所まで来てたわ!という感じでしょうか?

日本に来たのは、縄文時代かそれより前のようで、今居るほとんどの日本人よりも前に定住しているようです。ただし日本最古の定住者であるグループ「M7」よりは後のようです。ちなみに、アイヌ民族は「G」グループで、僕の属するハプロ「A」とルートは同じだけど、ずっと後の弥生時代以降、日本に来たグループのようです。

僕は南の海からやってきたグループだと思っていたので、かなり意外な結果です。とはいえ、縄文時代から日本にいるグループというのは納得です。
 
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「ハプログループAはシベリアが起源とされ、日本人の7%程度を占めています。過去にはシベリアでマンモスを狩猟していたとも考えられ、現代では東アジアからアメリカ大陸まで広く分布し、日本には比較的古い時代にやってきて、縄文人の一部になったとされています。
(遠い血縁:アメリカ先住民)」

ネイティブ・アメリカンとも同じグループのようです。基本、魚よりも肉食のようです。同じようにユーラシア北部からきた「N9」はカムチャッカ半島を経由しているようで、そちらは魚食のようです。知らんけど。

遺伝子レベルでみた体質も送られてきました。

身長 高い(どこが?!…は置いといて、続けます)
体重 やや重い
腹囲 サイズは小さい
胸のサイズ 大きい
腰のクビレ 目立つ
鼻筋の通り 通っていない
目の色(青に近いかどうか) 可能性が高い
肌のくすみ ややくすみにくい
紫外線による肌の光老化 影響が大きい
そばかすのできやすさ できにくい
男性脱毛症のなりやすさ なりにくい
髪の太さ やや細い
髪色の明るさ 明るい
男性ホルモン(ジヒドロテルトステロン)値 やや高い
アルコールによる顔の赤くなりやすさ なりにくい
虫歯のなりやすさ(下の前歯) なりやすい
アスパラガスの代謝産物(尿)の匂いを感じ取る能力 やや高い
麦芽の香りを感じ取る能力 やや感じにくい
85歳以上まで長生きする可能性 可能性が高い

でした。

背が高い?!?!?!

北のマンモスハンターだから、ゴッツイ体型の遺伝子だったはずなのに、いつの間にやら背が伸びにくい要素に負けてしまっていたんですね。なんともはや…トホホ。

腹は出にくく、胸は大きく、ウエストはキュッとしていて…そういえば、加奈子がまさにこの体型だわ。そして、鼻筋も通ってない。そばかすはできにくいけど、紫外線の肌影響は大きいから、やっぱり日焼け対策はさせといて正解だったのね。

僕としてはハゲにくいというのは安心。

そしてそして、

85歳以上まで長生きする可能性が高い

ということです。
長生きはエエのですが、やっぱり健康寿命が長くないとモッタイナイですね。遺伝子的には長生きでも、ボロボロでも死ねないってことなら、それはそれでシンドいです。

おまけで、一つだけ遺伝子的にリスクの高い病気を教えてもらえるようです。僕の場合は「エコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)」でした。 日本人平均の3.07倍の発症リスクだそうです。来週、さっそく長時間フライトなんですけど、ちょくちょく動くように気をつけます。

ゲノミー
というわけで、「北の狩人」である山田亮を、今後ともよろしくお願いいたします。
 
MYCORDの説明によると、「ハプログループ(ミトコンドリアハプログループ)とは、人間の細胞内の “ミトコンドリア”と呼ばれる小器官のDNAの多型を用いて遺伝的に分類されるグループの事です。このミトコンドリアは祖母から母親、母親から自分と“母系”を伝わって代々受け継がれるため、ミトコンドリアのDNAを調べる事により、母系の系譜を辿ることができると考えられています。」
ということなので、母や祖母の系列がグループ「A」ということです。従って、母方の従兄弟達もグループ「A」ということですね。
 
15:37  |  自己紹介  |  Comment(0)
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