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ウクレレが壊れた

2019.07.18 (Thu)

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2015年3月に買ったウクレレ(この時)。
今朝は(たぶん)なんともなかったのに、
仕事が一段落した午後、
ちょっと弾こうかな?と思って見たら、
画像のような無残な姿に。

ブリッジ部分の接着がベロッと剥がれて宙ぶらりん。
フォークギターやクラシックギターは、
ブリッジが剥がれるトラブルがあると聞きますが、
まさかウクレレでも起こるとは…。
あの弦テンションのユルさなのに。

記録を見ると、18,800円で購入してました。




それはそうと…
今朝から、たくさんのヘリコプターが飛んでいます。
京都アニメーションで放火殺人事件が起こったようです。
この記事を参考にしました。
これは「殺人事件」ですよね?

「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」や「らき☆すた」など、
たくさん父娘で一緒に見た京アニの作品。
近所の会社だけに、
友人の友人など、関係者も多数巻き込まれたようです。
一人でも多くの人の無事を祈っています。

僕のウクレレが壊れたことなど、小さなコトです。
とはいえ、これも哀しい。 
 
15:21  |  音楽  |  Comment(0)

祇園祭山鉾巡行(前祭)を見てきました

2019.07.17 (Wed)

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京都に移り住んで、はや20年ちょっと。これまで、祇園祭の山鉾巡行は、たまたま通りがかった時にチラッと見た数回だけでした。今年は、やんちゃ村京都一周4分割マラニックその3(この時)の、鞍馬まで行く電車の中で、ラン友さんから、招待席のチケットを譲って頂き椅子席からの観覧となりました。

御池通りの市役所と反対側、つまり本能寺会館北側辺りの席で、街路樹の木陰になったり、たまに涼しい風が通ったりと、真っ正面から日差しを受ける北側(市役所側)に比べると、はるかに見やすい席だったと思います。9時30分過ぎに席に着き、そこから待つこと約50分。先頭の長刀鉾が河原町御池の角にやってきました。

北に向かったいた鉾が西に向きを変えるんですが、その辻回しのまぁなんと時間の掛かること…ではなく優雅なこと。おかげで後から来る鉾には、辻回しの時間に対する心構えができました。
 
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次に来たのは、今年の「山一番」を引いた蟷螂山。屋根の上のカマキリが動いてポーズを決める、動きのある山。

「南北朝時代、足利軍に挑んで戦死した四条隆資の戦いぶりが中国の故事「蟷螂の斧」のようであったことから、四条家の御所車に蟷螂を載せて巡行したのがはじまりといわれる」

とのこと。

芦刈山→木賊山(とくさやまと読む)→函谷鉾→郭巨山→綾傘鉾→伯牙山→ときて、

 
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9番目の菊水鉾。この辺りになると、座席も日が当たり始めだいぶん暑くなってきて、年配の観覧者は日陰に移動。すると、周囲がゴソッと空席に。後ろがいなくなり、ちょっと立ち上がっての撮影も問題なし。

菊水鉾→油天神山→太子山→保昌山→雞鉾→白楽天山→四条傘鉾→孟宗山→月鉾→山伏山→占出山→霰天神山→放下鉾→岩戸山ときて、
 
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最後が船鉾。最後の船鉾が通り過ぎたのは12時47分。2時間と20分くらいの観覧。全部で23の山と鉾が行き交い、どれも逸話や御利益の説明を読みながらで、アッという間。

逸話を振り返ると、中国の故事に由来するものもけっこうあるなと感じました。函谷鉾や孟宗山、白楽天山などは、名前にも表れてますし。そして装飾品である、前懸、胴懸にはインドやトルコ、ペルシャの柄も多く、多文化共生の様相。そういえば、引き手も一目で外国人とわかる人達も大勢でした。古来から、日本随一の国際都市だった京都ならではの、絢爛豪華な祇園祭山鉾巡行でありました。

ここまで見たので、27日の後祭の山鉾巡行も見てみようかな?と。

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ところで、祇園祭山鉾巡行の席に入ろうとすると、うちわやパンフレットなど一式が渡されるのですが、その中に、このような紙製の矛のような形のモノが。

上の山や鉾の画像にもチョコチョコ写っていますが、広げると、
 
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こんなチューリップハットになります。頭のてっぺんが焼けなくてはイイんだけど、中が蒸れ蒸れになりそう。そしてなんといっても、似合う人っているのか?という微妙な形。僕も、撮るだけ撮って、すぐに片付けました。
 
16:31  |  日々の出来事  |  Comment(0)

特急はるかの新型車両

2019.07.11 (Thu)

京都と関西国際空港をむすぶ関空特急「はるか」の新しい車両がこのたび発表されました(この記事)。

新しい形式は271系
現行の車両は281系。番号が若返ってます。
291という番号は、
燃料電池試験電車クヤR291」があったので、避けられたか?

281系のはるかがデビューしたのは1994年9月。
僕は1993年3月にサラリーマンを辞めた一年半後。
フリーター(もはや死語?)というか派遣社員というか、
とっても微妙で不安定な時期。

それでも、下宿先の近所を通る阪和線に新型特急が通るというのは、
当時、国鉄時代のお古車両が集まる阪和線にとっては大ニュース。
しかも、野暮ったい車両かと思いきや、スッキリした色合いで、
関西で言う「シュッとした」感じの車両。

関空快速として運用された223系0番台と、281系が通るようになって、
ずいぶん雰囲気が変わったモンでした。
新しい時代になるのかも…と、僕にとっては明るいニュースでした。

その281系の編成に、くっ付ける形の増結車両として、271系が登場しました。
…ということなので、
今後の編成の顔(運転席)は、
関空側か京都側のどちらかは281系、反対側は271系になりそうです。

ところで、この281系の顔。
なんかに似てるなぁと思っていました。

今のくろしおや山陰線特急で使われている、287系を基本にしたスタイルらしいのです。
確かに、287系も白くドンと四角い顔なので、そこだけ見ると、似てるような気もします。
が、287系はつり目。
どことなく、雰囲気が違う気がします。

どこかで見たような…
あれだ!

オランダのICM

1994年9月。開港したばかりの関空から、
現実逃避というか、逃亡というか、
一か月ちょっと欧州に出掛けておりました。

オランダのロッテルダムでは
会社員時代に同じ社員寮だったK氏のお宅に2泊。
その後、オランダからスイスを経由してミラノまでの鉄道旅行。
その夜行列車は、ロッテルダム始発ではなくアムステルダム始発。
ロッテルダムからだと、途中の停車駅ユトレヒトで乗り換え。
その時、ユトレヒトまでを、この
ICM
で移動したのを克明に覚えています。

271系の顔を見て、
いろいろ思い出したのでした。
 
16:47  |  旅行  |  Comment(0)

やんちゃ村京都一周トレイル(その3)走りました

2019.07.08 (Mon)

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6月16日の「やんちゃ村京都一周4分割マラニック(その2)」(この日)に続いて、その3を走りました。前回その2のゴール地点だった鞍馬からのスタート。天気予報では、当日は一週間くらい前の週間天気予報でも、ずっと「雨」の予報だったのが、朝方は曇り。降水確率も30%程度。雨に降られ、足下ドロドロのトレイルランになると思っていたら、水溜まりもほとんど無し。

行きは、期間限定の「きらら」黄緑バージョン。
 
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鞍馬駅スタート。この天狗の前でなんべんも撮ってるなぁと思いながらも、ついつい撮ってしまう天狗。

そして、いざ、スタート。
今回、僕はゼッケン「7」というかなり前からのスタート。この「その3」はとくに山に入るまでの位置取りが重要。なんせ、峠に入ると、一人が通れるだけの道幅。急勾配も加わり、追い抜くのはほとんど不可能。自分のペースで登ろうにも、速い人は遅い人に引っかかり、遅い人は速い人に後ろから突っつかれ、とにかくタイヘンな山道。
 
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スタートから二ノ瀬駅手前の踏切を渡るまではロードラン。この間に周囲を見ると、名古屋ウィメンズマラソンのお揃いTシャツをきた7、8人の御一行様。この御一行様の後ろで峠に入ると、タイヘンだろうなと踏切までに、ちょっと無理してグイグイと前へ。
 
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峠の入口に入ったところ。すでにオレンジシャツの後ろにいるピンクシャツの集団と、その前が空いてますし、後ろが詰まっているように見えます。

ここから1kmの夜泣峠までは、ひたすら登りの山道。序盤にもかかわらず、最近のラン不足もあって、足が重たい。幸いなことに(?)御一行様が後続の高速ランナーズを通せんぼしてくれているおかげで、後ろから突っつかれることなく、ペースを乱さず終始自分のペースで登れました。
 
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もはや前を行く人の姿も見えず、山の中で一人ラン。ノンビリ写真撮ったりしながら走っていたら、まいど!の岡山さんに追い付かれました。せっかく登った向山をその分だけ下った、5km地点の山幸橋のドリンクエイド。そこで衝撃の事実を知ることに。

「はい、岡山さんと山田さんで2番目、3番目ですね」
「?!なんで?!」
「前は、こちらの人が一人だけですよ」
「そんなアホな、★★さんや、◎◎くんが前を走ってましたよ」
「…ということは…」

どうやらコースをロストするランナーが続出だった模様。しかもヤッカイなのが、ベテランでコースガイド的な人が間違えたらしく、みんなそっちに付いていったらしい。僕は前の人の姿が見えないので、地図を見ながら、かなり慎重にコース確認しながら走っていたので、無事にたどり着けたらしい。
 
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こんな道をヒャッホ~と駆け抜けていくのが好きだ。この場所はドリンクエイドの前でした。
 
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二人の良いところは、こういう写真を撮ってもらえること。何やかんやしながら、岡山さんとお昼ご飯エイドまで併走。ここで、「やんちゃ村」イベントでお馴染みの美女軍団に追い付かれる。ササッと食べて、長い後半の部がスタート。

山の家はせがわのトイレを借りている間に、美女軍団は通過。美女を追いかけるべく、エンジン全開で追いかける岡山さんと僕。ところが、急にお尻に冷たいものが。

「漏らしたか?」
…にしても冷たい液体。
背中のザックの下を触ると、水でザッブザブ。

岡山さんに先に行ってもらい、中をチェック。

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Platypusのパイドレーションタンクに穴が空いて、そこから冷水がジャジャ漏れ。画像は、家で漏れの確認中のもの。

調べてみたら、2017年5月以降使っていました。きっと想定内の使用なら、もっと長持ちしたんだと思います。なんせ、僕はこの中に水を入れて、それを凍らせたモノを背負って走ってます。氷の尖った部分と荷物が擦れると、穴が空きやすいはず。競技大会以外のロング走はいつも一緒だったハイドレーションバッグですが、これにてジ・エンド。

かなり漏れてしまったけど、穴が空いている方を上に入れ直すと、漏れが止まったので、しばらくはそのまま走ることに。
 
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沢ノ池に付いた時は、再び一人。それでも後ろからはまだ韋駄天軍団が追い付いてこない。おそるべし御一行様の通せんぼ。聞くところによると、前半部分以外でもロストがあり、皆さん相当迷走していた模様。
 
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かく言う僕も、とうとう第3エイドに入る道を間違え、162号線をグルッと迂回。しかも全部登り。登らなくても行けたエイドステーションをわざわざ登って階段を降りてとメンドウなことをしてしもた。

ここで、山健さんや中原さん、橋本さんや須藤さん、上田さん達と合流。つまり、いつものお馴染みさん達ばっかり。ここからは国道162号線をひたすら下る。

山の中は涼しかったのに、国道沿いに下界へ降りると、まぁ蒸し蒸しと暑い。異様に暑い。しかも水はほぼゼロ。ローソン京都高雄店に駆け込み、お茶と水を補給。お腹チャポチャポで残りの行程を。ズッと下りなのでスピードは出るんだけど、その分、足への負担は大。すでに前半中盤の登りで太腿とふくらはぎがキンキンに。そこへ下りで地面からの衝撃がゴンゴン。

とにかくガマンの時間帯。京福北野線を越えて、JR嵯峨野線を越えて、嵐電嵐山本線を越えて…そこからゴールの千石荘公園までの370メートルの長いこと。
 
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やっとゴール。4分割のうち「その3」だけは、一回しか走ってなかったので、これで2回目のコンプリート。

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ところで、162号線を走っている最中に、バチンと音がしたと思ったら、ザックの前ストラップが根元から抜けてしまいました。一回抜けると、再度の取り付けはほぼ不可能。これも調べてみたら、2015年5月から使ってました。未練もナニも、これだけ酷使すれば、モトは十分取ったと思えます。前が合わせられないザックで走ると、ユラユラ揺れて落ち着きませんでした。これも後半一気に疲れた原因?

ゴール後、「やしろ湯」でお風呂には行っていたら、ランナーウォッチの画面をカバーしていたフィルムも剥がれてしまいました。

実は、ここ一ヶ月ほど、左足の尻から太股裏、ふくらはぎにかけて、普通に家事をしていても、シビれるんです。今月に入ってからは膝の調子もなんかチクチクするような不安な感じ。この「その3」を走ってみて、全然ダメだったら、もうトレイルは「これにて終了!」でもエエかな?と思ったりしてました。

さいわい、走り終わってから24時間以上経ちましたが、膝は大丈夫です。シビレは若干ありますが、むしろ普段通り。「その2」の後は、筋肉痛が来なかったんだけど、今回は、走ってる途中から筋肉痛でした。そして、今もバッチリ筋肉痛です。タンパク質をもりもり摂取して、超回復を期待してます。

というわけで、「その4」も出られそうです。申し込みを忘れなきゃ…ですが。
 
17:18  |  ランニング  |  Comment(0)

最近、多用しているモノ

2019.07.04 (Thu)

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先日、大分県中津市で講演した帰り、小倉駅でソニックから新幹線に乗り換える途中のこと。

乗り換え時間が24分あったので、土産物店を物色。ズッと以前は、小倉を通る度に「辛肉味噌」を買ってたんだけど、ここ最近は、いつ覗いてもないんです。それでもいちおう「あるかも」と思って覗いてるんですけど、やっぱり無い。

「あ、また、なかったなぁ」と思いながら、他のモノも物色していて見付けたのが、この「ゆずの華」。冷や奴に使ったり、サラダにかけたり、味噌汁に使ったり、炒め物にも。冷や奴は、醤油なしで、このゆずの華のみ。大豆の味がいきるというか、ゆずの香りだけで、十分味が引き立つんです。なんで、こんなに味わえるものやのに、醤油かけたり、ポン酢かけたりしてたんやろ?と思うくらい。醤油の味食べてたんとチャウか?と思うくらい。

また、小倉で乗り換える時は、これを買わないとなぁと考えてたんですが、そういえば、ネットで売ってるかも…と思って調べてみたら、やっぱり売られてました。

日之影特産果樹振興会 ゆずの華本舗
というところが取り扱っているようです。

8グラム入りが324円
20グラム入りが648円

手軽にゆず風味にできる一品。とにかくアレやコレやと多用してます。


ちなみに、サイトの会社案内で住所を調べると、「西臼杵郡日之影町」。臼杵市は大分県にあるけど、西臼杵郡は宮崎県。会社は五ヶ瀬川沿いにあります。

で、五ヶ瀬川…五ヶ瀬…といえば、五ヶ瀬ハイランドスキー場。南ちゃんのCM(これ)で有名になりました。南ちゃん役の藤田可奈さん、結婚されてもうすぐお母さんになるそうです。
 
22:55  |  料理  |  Comment(0)

大分県中津市へ

2019.06.30 (Sun)

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大分県中津市での講演で(これ)、一泊二日の旅行してきました。

京都駅の新幹線ホームのゴミ箱。新幹線車内のゴミ箱がG20の影響で全部使えない状態に。その関係で、ホームのゴミ箱が溢れ出る事態に?JR東海の腕章した女性が対応してました。
 
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小倉駅で新旧の顔並び。国鉄時代の415系と平成生まれの813系。とはいえ、813系もいつの間にやら大ベテランの領域に。
 
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中津までは「白いヤツ」。

「白いソニック」「青いソニック」と表示されていたコトもあったらしいけど、小倉・中津両駅ともその表示は出てなかった気がする。「6両」が白いソニックで、「7両」が青いソニックだと思って間違いないと思います。
 
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中津駅に着いた18:11。すでに腹ペコ。ホテルにチェックインすると、一回ロビー横の食堂で、19時まで生ビール半額というハッピーアワー。メニューを見ると「中津からあげ定食」もある。外は雨が強くなってきてるみたいだし、「エイヤ」とそこで食べました。
 
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食べ終わると、雨が小降りに(…というかあがってる)。まだ外が明るいので散歩へ。到着した時は、空腹でよく見てなかった福沢諭吉さん。
 
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向こうに、あかりの付いたアーケード街。雨が降りそうな時の散歩には好都合。
 
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飲み屋系の店がたくさん。駅前の商店街といえども、最近はシャッター外の商店街が全国的には多い中、中津駅前は明るい!人通りがある!
 
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脇道にもけっこうイイ感じの店が。しかも、僕が散歩している間、商店街の店に入っていく客は、なぜか20~30代の女性が多い。こういう居酒屋って、オッチャンパラダイスになっている場合が多く、入った瞬間「アウェー」な感じになる店も多いけど、若い女性が多いと、例えアウェーでも、ちょっと雰囲気が違うような気がします(あくまでも主観)。

後で、講演のお迎えの車の中で聞いた話、
6月28日は公務員のボーナス支給日だった→人通りが異常にあった可能性も
オシャレなカフェなどがない→若い女性も居酒屋へ行く
中津は友達同士で気軽に外食する文化がある
などの背景があるのでは?とのことでした。
納得。

各店が、500円くらいから1000円くらいまでの「チョイ飲みセット」「お疲れさまセット」などを出していて、はしご酒にもいい飲み屋街だと思います。ホテルで定食など食べずに、もうちょっとだけ空腹をガマンしてここまで来れば、かなり楽しい晩ご飯だったのでは?と残念。

とは言いながらも、晩ご飯の間に、原稿修正チェック要請のメールが入っていたり、アレやコレやと仕事絡みのメールが来ていて、ホテルの部屋で作業しないといけなかったのも事実。飲んでる場合じゃなかったかも。
  
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朝、ホテルからの日豊線。博多行きの白いソニックがやって来ました。
 
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講演前の散歩でたどり着いた。「獨立自尊」の碑。講演の中で、まさにその考え方を紹介しながら、言葉として盛り込めなかった「独立自尊」の話。今回の大いなる心残り。
 
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講演後の散策。まずは中津城から。事前に、詳細な説明書を頂いていたので、待ち時間にじっくり読んで予習済み。
 
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中津城の紹介は、この角度の写真が多いですね。
 
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散策の途中から雨がジャカスカ降ってきたので、続行断念。駅に向かう途中、昨晩のアーケード街の入口で見掛けた塾の看板。

「タルカス?」

と思いきや「カルタス」。カルタスと言えば、スズキの自動車(これ)しか思い付きません。

「タルカス」といえば、エマーソン・レイク&パーマーの名曲!プログレファンにはお馴染みのあの曲。アルバムのジャケットは、アルマジロ戦車。そんなマニアックな塾の名前なら、さぞかし難関校も突破できそうなものだけど、カルタスかぁ~です。

「タルカス」がどんな曲かは、原曲はこちら
オケ版はこちら
(ともに、リンク先はYouTube)です。オーケストラ版は大河ドラマ『平清盛』で劇中音楽として使用されたのが有名。
 
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散策を終えて中津駅に戻って、切符を買って、ウロウロしていたら…講演のポスターを発見(左上)。
 
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顔写真もドーン!と。
 
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ちょっと早めにホームに上がって、ホームの散策。昔の駅標だ!今のJR九州は、赤基調のデザインだけど、国鉄時代は全国こんなデザインだったなぁ。
 
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向こう側の大分行きホームには、「日本一長い鱧(ハモ)の椅子」。中津市は唐揚げも有名だけど、鱧も有名。講演後の弁当は豪華な瑠璃京の鱧づくし二段弁当でした。
 
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行きは白いソニック、帰りは青いソニックでした。JR九州の883系。僕は白よりも、この青の方が外見も座席も好きです。白の革張りシートは、なんかツルツルスベるんですよね。それと座席の幅が広すぎて落ち着かない。青いバケットタイプの座席の方が好みです。
 
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ただし、足下のコレに関しては、白の方がいい。青は窓際席の足下に出っ張りがあるんです。JR四国の特急や本州でも183系なんかにコレがある車両ありました。これだけが…な883系青いソニックです。
 
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小倉駅の新幹線ホームは、このとおり使用不可。聞くところによると、G20の期間中、富山駅でもこの状態だったとか。富山と大阪ではかなり距離も時間も離れてますが…こんな調子だと、東京五輪の際にはどうなるんでしょ?町中のゴミ箱が使用禁止になり、行き場を失ったゴミが、町中に散乱?
 
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新山口駅東にある転車台に集まっているタラコ色のディーゼル達。心通る度に「おおお!」と思いながらやっと撮ることができました。

しかし、視界を遮り続ける新幹線のケーブル。街中を走る区間もそうだし、富士山の近くもそうだけど、新幹線からの車窓はドンドン削られてきて、旅の楽しみは減ってきていると思います。この転車台も見どころとしてはオモシロイと思いますが、スマホ画面を見続けている人や新幹線=睡眠場所、飲食場所という人には、車窓はどうでもイイんでしょうね。富士山が見える区間なんかは、日本に来た観光客には見どころとして、とってもイイ場所だと思うんですけど、視界にはやっぱり送電線が入り込んで鬱陶しいです。リニア新幹線は、大半がトンネル区間と聞きます。移動手段と割り切れば、それでも良いんでしょうけど、なんだか合理主義の極み的で味気ない気がします。鉄道という移動手段すら、娯楽目的にできるというのは、ある意味、豊かなことだと思うんですけどね。
 
10:58  |  旅行  |  Comment(0)

やんちゃ村京都一周トレイル(その2)出ました

2019.06.17 (Mon)

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やんちゃ村主催のマラニック「京都一周 トレイル4分割シリーズその2 東山から北山へ編」に参加しました。やんちゃ村のランイベントは、昨年の「その4」以来(この時)。「その2」は2016年(この時)と2017年(この時)についで3回目の参加。

3回目だから楽チンと思ったら、コースの様子が台風被害でちょっと変わっていたのと、途中からの土砂降りの雨で、これまでにない経験になりました。
 
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昨年秋の台風の被害で、てんこ山(たぶん)からの風景もえらく視界が開けた感じでした。撮り忘れましたが、玉体杉からは以前にも増して、滋賀県側がよく見え、びわ湖もだいぶん広く見えました。

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比叡山山頂近くの林は、この通り、無残にもザックリ地面から掘られて、倒木がまだまだたくさんありました。ここは昼間でも暗い感じの場所だったのですが、今やこの通り。

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これまでのルートが使えず、旧道を登ることに。とはいえ、こちらも、倒木のトンネルができている状態。

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そんな中、新緑が眩しい光景も。

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旧道はケーブルの駅横に繋がってるので、「タイミングが良ければ…」と思っていたら、ドンピシャでケーブルカーと遭遇。今回は貴重なRUN鉄(鉄RUN)場面。

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ここまでで、すでにサンバイザーからは汗がボタボタ。その汗が目に入って浸みてイタイイタイ。ケーブル山頂駅でお昼エイド。おにぎり2つがストンと入る。糖分多めのコーラをガボガボ。まだまだ前半なので、温存。

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もう少し先の場面かもしれませんが…登った山は降りなければ。下りが大苦手の僕なのに、グループの先に立ってしまい、後ろから突っつかれて、焦りながらの降下。

前の日の大雨で、ところどころぬかるんでいるし(思ったほど、そういう場所は多くなかった)地面に出ている木の根っこがツルッツルで、それを踏むとツルンと。何度もスリップしたり足を取られたり、あっちこっちでいろんな物にけつまずいたりしながらも、何とかコケることなく持ちこたえ、無傷で下れました。

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横高山の上。終盤はほぼこの5人で併走。

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このコースの最高峰水井山。横高山が意外と楽に登れたのに対して、これまで簡単だった水井山に手こずりました。思い込みがジャマしたんだと思います。横高山も水井山もずいぶん表土が流れ落ちてる印象でした。

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水井山から薬王坂までの写真が抜けています。撮る余裕がなかったというのが実際のところ。水井山を下り、仰木峠まではわりとスイスイ。といっても「こんなにガレ多かったかな?」という感じの石ころだらけ。

そして仰木峠から下り一辺倒のボーイスカウト坂。降り始めると、停まるのにも筋力が必要な高速降下ルート。ユックリ降りる方法があるのなら、教えて欲しいくらい。滑り落ちる感じで降りると、小さな橋を渡って大原の入口へ。ところが、ここがヒルの多発地帯。止まったら這い上がられる!とにかく止まらずに走り抜ける。

大原の入口、国道367号線手前でおやつエイド。プリンを頂く。ここで、一日で京都トレイルを一周するというツワモノの女性3人組と一緒になる。江文峠はこのメンバーも一緒に制覇。そこから静原へ。

静原小学校を通り過ぎた辺りから、パラパラと雨。そして静原児童公園の手前で土砂降りに。一時期、民家の軒先で雨宿り。ちょっと小降りになったのを見計らって、「どうせまた汗でザブ濡れよ!」とヤケッパチで最後の難関である薬王坂へ。

坂の上でもけっこうな雨。ピンボケ&手ぶれ。防水じゃないスマホなので、サッと出してサッと撮る。ピンボケは致し方ございません。

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ゴールの鞍馬温泉で湯船に浸かっている間に、雨がやみ晴れ間が戻ってきました。

風呂場で一緒に走っていた山健さんも岡山さんも、ヒルに食らい付かれていたのが発覚。ヒル発生地帯は、先頭が山健さん、2番目に岡山さん、3番目に僕が走っていたんだけど、先頭と2番目にヒルがくっ付いてたコトに。蛇は2番目が危ないと聞きますが、ヒルは先頭でも対応してるんでしょうかね?

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鞍馬駅から出町柳駅まで戻って、そこから百万遍までテクテク。そして餃子の王将で餃子&ビール。

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ズッと笑いっぱなしのゴキゲンな愉快な仲間達。運営のやんちゃ村、スタッフの皆さん、ラン友の皆さんのおかげで、いつも楽しませてもらってます。

参考までに…ゴールまでの所要時間は、
2016年は4時間30分
2017年は4時間43分
2019年は4時間25分
でした。今回が一番速いタイムでした。
タイムアタックイベントじゃないので、どっちでもエエんですけどね。

恐ろしいのは、ゴール後、まる一日経った今(6月17日17:17現在)まだ筋肉痛が来てないこと。走っている途中で太腿の筋肉痛は感じてましたが、走った後は痛みゼロです。このまま来て欲しくない…というか、まる一日以上のタイムラグで筋肉痛など、カンベンして欲しいです。下りもそうとう頑張って踏ん張ったので、かなりのダメージはあるはずなんですけど。

(後日記)
結局、筋肉痛は来ず。走っている途中で、太腿の裏が痛くなったのが最後の筋肉痛でした。
 
 
17:20  |  ランニング  |  Comment(0)

あの時の治療代は

2019.06.12 (Wed)

2月24日の夜、アメリカ旅行中の加奈子はアリゾナの救急病院「ER」で脱水症の治療を受けました。

その時は、キャッシュレスで対応できたんですが、実際にどのくらい費用が掛かったのか知りたいと思ってました。

そして、
昨日、保険金の支払いについての書類が届きました。

金額は

197,101円!!

やっぱり、アメリカの医療費は高いなぁ。
これじゃぁ、保険に入ってない人は病院に行けないわ。
オバマケアが導入されたのもわかるな。

そういや、トランプは「オバマケア撤廃」って言ってたけど、
その後、どうなったんでしょ?

たいした治療内容じゃなかったのに、
それでも20万円近い治療費。

とはいえ日曜日の夜間に病院に行ってるから、
その分の人件費や電気代やら、
治療費だけで運営していると考えれば、
このくらいの金額が妥当なんだろうか?という気も。

国民皆保険に慣れてる、僕からすると、
ちょっと信じられないような額。
国民皆保険制度って、スンバラシイ!
と改めて思いました。


ちなみに、この時の
保険料は父娘二人で7,190円
でした。
約20万円の出費が7,190円だったんだから、

入ってて良かった海外旅行保険

でした。

au損保から届いた「保険金お支払いのご通知」には、
197,101円が株式会社プレステージ(たぶんこの会社)に支払われている内容が記載されていました。ここがまとめ役の会社なんでしょうかね?
 
17:01  |  旅行  |  Comment(0)

フーコーを語り合う日が来るとは…

2019.05.31 (Fri)

晩ご飯の支度をしている僕に、加奈子がなんやらかんやら話し掛けてくるのはいつものこと。

とくに最近は、大学入試に向けた「倫理」科目内容の話が多い。
「☆$は×▼という説について、パパはどう思う?」
「ん~必ずしもそう言い切れないんじゃない?※*♂な例もあるし」
「やっぱり?そうやんね」
などなど。

で、今日はミッシェル・フーコーについてでした。

スタディ・サプリの講師がよいのか、
妙な偏向が掛けられず、真っ直ぐスッと、
権力に対して斜に構えたフーコーを理解している気がします。

いやぁ~ついこの前まで、
パタパタ家の中を走りながら、

「なぁ!なぁ!これなぁ~※★◎が××▲やでぇ」
「え?え?なんの話?」
「んもぉ~~!チャンと聞いてぇよぉ!!」

というやり取りしてた気がするんだけど、
それが「規律訓練型権力」ですから。
大きぃなったなぁ。


幸か不幸か、近所の高校の理数科へ通うことになり、
大好きな日本史が社会で専攻できず、仕方なく選択した「倫理、政治・経済」。

ところが、これが思い掛けず、「一番面白い科目!」と言うように。
まだ、勉強を始めてから3ヶ月なのに、かなり進んでいるらしい。
というか、最近は倫理ばっかり勉強しているようです。
前半の、哲学領域も非常におもしろかったらしい。

で、今夜は、話の流れから、ミッシェル・フーコーに続いて、
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの話も。

来た!来た!とうとう来た!
「ジェンダー」という言葉を娘が使う時が来た。

大学院時代に通っていた研究会で、
院の研究とは別に、『第二の性』を読みましたよ。
当時は、担当指導の青柳さんの話が半分以上「?」だったけど、
「今思えば、こういうコトだったんかなぁ」
と少しわかるように。

そんなオヤジの僕をヒョイッとひとっ飛びしそうなくらい、
今の加奈子の吸収と理解の力がすさまじい。
そして、このマニアックに突き詰めるスタイル…


悪い予感がしてきたゾ、

「研究者になる!」

とか、言い出さないだろうな。


一つだけ確実なことがあって、
それは、加奈子が文系向きであるということ。
これは理数科に進んだからこそ、確信できたこと。

「塞翁が馬」ですな。

 
23:59  |  家事・子育て  |  Comment(0)

書く技術についてアレコレ

2019.05.21 (Tue)

あちこちで連載をしていると、たまに聞かれることがあります。
それが、

文章は、どこで習ったんですか?

という種の質問。

僕は通っていた学校(普通の公立学校)以外、ほとんど文章の勉強というのはしてません。まったくの独学です。

たまたま、というかなぜか、母が文章にキビシイ人で、宿題の読書感想文などは、「ここ違ってる!」「ここは『に』ではなく『の』!」「『ら』が抜けてる!」など、容赦ないチェックが入るのが学校以外で鍛えられた瞬間でした。

母がそんなにキビシイ人だったので、小中学校時代の作文の宿題は「また書いても、書いても怒られる」と苦手でした。ちなみに習字は両親共に得意だったので、習字の宿題も、僕の「これでイイや」ではなく、「親の納得(諦め)」が書き終わる基準だったような気がします。賞状なんかももらったことありますが、自分の力で書いた感はほぼゼロ。

高校に入っても、作文は苦手なまんま。おまけに字も悪筆(今でも)。

そんな僕が、「文章ってオモシロいな」と思えたのは、高3の現代文の太田先生の授業。生徒指導でもあったので、どっちかというと普段はガミガミ系の先生だったんだけど、作文に間してはずいぶん間口の広い人で、模範解答的な文章を紹介した後で、いつも半分ふざけたような山口君と村上君の文を紹介して教室は爆笑!「こういうのが書けると、書いてる方も楽しいやろなぁ」とボンヤリ思った記憶があります。相変わらず、書く技術はまるでなしで、書くコト自体も苦手。

今でも書く技術はそれほどあると思いません。どちらかと言うと、他の人が書かないような内容を書いている点で、書く仕事を得ている気がします。

東京新聞の以前の担当さんに、「軽妙洒脱な山田さんの文章」と言われ、「軽妙洒脱?そもそもなんて読むん?」でした。

【けいみょうしゃだつ】
会話や文章などが、軽やかで洗練されていること。また、そのさま。(コトバンクより

いやいや、そんなことないと思います。ノセ上手な担当さん。

少なくとも、
「こう書けば軽やかだろうな」
「これはモッサリしてるな」
と推敲できるレベルじゃございません。偶然、そういった感じに読める文章になっただけです。

それよりも、
もの書きのくせに、「軽妙洒脱」が読めないとは…
だと思います。

実は、読書も苦手。文学好きの母から「アレ読め」「コレ読め」と言われても、全然読む気なし。名作集やら◎◎全集など、家にはたくさんの本があったのは覚えてるけど、ほとんど読んでなかった気がします。

読むのは、国語の授業中の教科書や参考書や試験に出てくる文章のみという、必要最小限の読書量。とはいえ、浪人時代は、ものすごく時間があったので、現代文はたくさんたくさん読みました。文学作品は相変わらず大苦手だったけど、評論はだんだん興味をもって読めるようになったのが救い。

大学生になると、勉強らしい勉強をしなくなり、読む量も書く量も激減。しかも、学者先生の書く文章のなんと分かりにくいこと。唯一、ゼミ担任の宮本憲一先生の文だけは、簡単な日本語で書かれていてスラスラ読める。逆にいうと、僕の読書力でまともに文章を読めるのが、先生の文しかなかったので、ゼミ選択は一択でした。

ある時、たまたま先生と二人になった時があったので、「先生は、どこで読みやすい文章を習ったんですか?」と尋ねると、「ん~駆け出し研究者の時代に、地方新聞でエッセイを連載した時かなぁ。学者にありがちいな文章を徹底的に直されたからねぇ」と仰ってたのが印象に残っています。

そんな僕も、ネットで好き勝手書いていた文章が新聞社の人の目に止まり、新聞で連載をすることに。もともと格調高い文章が書けないので、「徹底的に直される」事はなかったけど、一文に複数の主語が入っていたり、重複表現があったり、クドイ表現になっている部分は、いつの間にか担当さんの修正が入っていました。モトの文と修正済み文を見比べながら、「こう書くとアカンのか…」「くだけた表現だけど、これはOKなのか」と自主学習。

というわけで、書く技術の習得に間しては、

編集段階でプロが修正した文章をみて学んだ

いうのが正解かもしれません。

ネット上の文章を読んでいると、難しい言葉を使いこなしている人が大勢いますね。読書量が違うせいか、僕には「軽妙洒脱」のように、意味がわからないどころか、読み方すらわからない言葉がたくさん出てきます。こんな言葉よく知ってるなぁと思います。でも、仮にそういう言葉を僕が原稿で使ってても、すべて分かりやすい言葉に置き換えて編集されます。つまり、難しい言葉を使えるようになる必要がないのです。文芸作家の皆さんに比べると、おそらく語彙力はかなり乏しいと思います。



こんな僕には、書けない時の「お助けアイテム」があります。

一つは音楽。
NANDO LAURIAの曲が流れると、なぜかスルスルと書けるんです。家事連載の原稿は、行き詰まるとたいていこの人の曲を流しながら書いてます。

もう一つは本。
こっちは「書けへん…」「もう書くの止めようかな?」という時、いわゆるスランプ時に読む、読書嫌いの僕が読む本!

文春ビジュアル文庫のスポーツ・グラフィック「ナンバー」編
激走!F1 歴史に残る30の名レース

紙に書かれたレース記録文集。それなのに、スタート前の緊張感から始まり、ドライバー同士の背景やチーム事情やシーズンポイントにまつわる経緯などが絡みながら、ゴールに向かってどんどんヒートアップしていく。もともとよどむことなく読める文が、最後には爆音で通り過ぎるスピードをも感じながら読めるんです。もともとレース好きというのもあるけど、それ以上に文章が素晴らしく、読む楽しさを思い出させてくれる一冊。

「こんな文章が書けるようになりたい!もうちょい頑張ってみようかな」
となれます。

30レースの中でも、とくに、林信次さんが書いた「1976年F1世界選手権 イン・ジャパン」は絶品。僕はそのレースをリアルタイムで知ることも見ることもなかったけど、今でも観客の一人になってレースを楽しめる名文だと思います。

その1976年のF1シーズンの主役は、ジェイムズ・ハントとその年のドイツGPの事故で大火傷を負いながら復帰してきたニキ・ラウダ。そのニキ・ラウダが5月20日に70歳で亡くなったと、今朝ニュース(こちら)で見ました。

 
18:17  |  日々の出来事  |  Comment(0)
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